2014年3月31日月曜日

師範 No.0564

顔パン先生ことまるもり、またサボってしまったよ。

少し前の話になるんだけどさ、海外のホテルでぐっすりお休みしていて、なんか、深夜に目が覚めたの。
で、「うーん、何時だろう」と思って携帯を取ったら、いきなり携帯が鳴りだした。


H先輩からの着信だった。


すぐに、ピンと来た。電話を取るなり、、、

「先輩、この時間に電話くれるということは、ひょっとして師範・・・」

私は開口一番、そう話しました。
H先輩は電話口で、泣いて言葉になりません。


そうか、師範、、、
逝ってしまわれたか。

私は、今海外です、お葬式に間に合わないかもしれないけど、帰国次第、ご焼香に伺います、と電話を切りました。


・・・


以前、一月の終わりだったかな、記事を書いたとき。


病院へお見舞いにいって、病室のベッドでお会いした師範は、高齢ということもあり、ずいぶんと痩せてしまわれてたけど、その大きな拳は昔のままだった。


ほとんど話すこともできない状態だったのに、私が「師範、ヤスユキですよ」というと、涙を流してくれていた。


・・・


ご焼香に伺い、ご家族の方々からいろんなお話を伺った。

あの後、私が病室を去った後も、ご家族の方が「ヒロタさんはご立派になられたね」と話しかけると、首をウンウンと少し動かして涙を流してた、と聞いた。


師範は、長女さんととても仲が良かったらしく、また、長女さんもずっと看病をしてたそうな。

師範の口癖は、「俺はお前の誕生日に死ぬから」というものだったらしい。

長女さんは私に話してくれます。

「父はね、いつもそう言ってて、お前の誕生日なら、お前の好きなものをお供えしてくれるだろう、忘れないだろう、って」


・・・


昔、戦国時代、最強といわれた武将の一人、「笹の才蔵」と呼ばれた、可児才蔵吉長という人がいた。一度の合戦で、20以上の首を取る、と言われた人。

その可児才蔵は、「自分愛宕権現の命日に死ぬ」と言い続け、実際、愛宕権現の縁日に、甲冑を付け、床几に腰を据えたまま息を引き取った、と言われてる。

・・・


享年88歳。
大往生と言っていいだろう。

師範がお亡くなりになったのは、
長女さんの、誕生日に
切り替わったすぐの、、、

0時20分だったらしい。


・・・


師範、頑張ったね、約束守ったんだね。

生き様、学ばせてもらいますね。

押忍。


・・・


大切な人が亡くなってしまう。
これは仕方のないこと。


死なない人間はいない。
そして、自分たちも、いずれ逝く。


今を生きてる自分たちにできることは、忘れないこと。
忘れなければ、自分の心の中で生きてるってことになるんじゃないかな。


・・・


葬式の会場は、多くの人でごった返していて、空手関係者も多かったと聞いた。師範の人徳がわかる。参列者の人たちは「師範、今度はあっちで空手やってるよ」と口を揃えていたらしい。


ひとつのことに賭ける人生は、きっと素晴らしいものだったに違いない。


師範、ご苦労様でした。
安らかに眠ってください。


追伸


この場を借りて、H先輩に感謝します。先輩のおかげで、ご存命中に師範とお会いできました。痩せてはいたけど昔と同じ大きな拳を握ったあの瞬間、あれは何ものにも代え難いものでした。ありがとう。押忍。




2014年3月27日木曜日

ある日の皮パン先生 No.0563

昔、もう十数年になるかな。当時はまだ従業員が私を含め数人で、年商もたいしたことはなかった。あの頃は、本当に朝から晩まで休みなく仕事をしていて・・・大晦日の除夜の鐘は仕事をしながら聞いたし、台風の日は私自身も徹夜でパトロールをしたりしていた。

そんなころ、事務所の近くに、ひとつの学習塾があったのです。

ある日、ウチの若い衆 – 今は私よりも組織にとって重要な存在、小林が事務所に帰るなり、こう言った。

「あの塾に、すごい美人の先生がいる!」

どうやら話を聞いてみると、その先生は、とても美人で、清楚ですらっとしていて、そして、、、

いつも皮のパンツをはいているらしい。

自然と、その先生は、
ウチの事務所内で、勝手に、、、

「皮パン先生」

と呼ばれるようになった。

・・・

あれから十数年が経ち、皮パン先生の塾の近くから事務所は移転し、違う地域の、大きな本社ビルに変わった。

あの頃の事務所がどうなっているかはよく知らない。

家賃15万円の賃貸事務所だったので、どこかが借りてるのだと思う。空き家になってるかもしれない。

まして、その塾のことなんて、全くわからない。

・・・

実は、私は、当時、その皮パン先生の姿を見たことがなかった。
若い衆たちが、

「今日も皮パン先生いたなあ」

とか、

「皮パン先生、やっぱりかわいいなあ」

などと言ってるのを横で聞くだけで、
ただの一度もその目で見たことはなかった。

しかし、見てない分、想像は膨らんだ。

皮パンが好きということは、足はスラリとしてるんだろうな。腰の位置も高く、多分、お尻も上がって、背筋は反り返った感じで、云々。

きれいな感じの人なのだろう、
と想像するとともに、、、

初期の「しゃにむに頑張っていた頃の自分たち」と重ね合わせ、何となくノスタルジックな気分に浸っていた。

「皮パン先生」という言葉は、単なる女性のことではなく・・・

脇目も振らず、一生懸命働いていた、ある意味最も幸せな時期、前だけを向いて、がむしゃらに希望に燃えていた、、、

そんな時期のシンボルであったりしたんだ。

・・・

あれからずいぶん、いろんなことが変わった。

当時と比べ、なんか偉そうぶってふんぞり返っている今、あの頃のことを懐かしく思ったりもする。

食事を取る時間も惜しんで仕事していたあの頃と違って、

私は、まるまるもりもり食べて、まるもりと呼ばれ、

顔はパンパンにふくれあがり、古くからの仲間、あのころの「皮パン先生」を知っている仲間たちからは、、、

「顔パン先生」

と呼ばれている。

なんちゅうか、まあ、深い意味は全くありません。


2014年3月12日水曜日

PM2、46 No.0562

まるもり、日本に帰りましたよ。で、帰ってみたら、FBの友人の人からメッセージがあってさ「PM2.46に黙祷を」と書かれてた。
ん?PM2,5の新しいバージョンか?福建省だ台湾だ、香港だと、ちょうど私が中国ばかり行ってるから、新種の空気汚染を心配してくれているのか?

・・・と思ったら、どうも、311のことだった。

大震災のことについては既に多くの人が記事にしてるだろうから、へそ曲がりな私は、違う記事を書きたい。

日本は「寄付のできない国」であるということ。

・・・

えーカッコする記事になって申し訳ないんだけど、、、

あの時さ、私、ブログをやってたの(まあ今もやってるけど、その頃は本気でやってた)。で、震災が起きた。

友人も福島に住んでいて、やっと連絡が取れたと思ったら、本当にひどい状態だった。で、わずかのお金を送った。そうしたら「とても助かった」と返事が来たのさ。平時とは金額の価値が違ったの。

これは、と思い、ブログの読者さんを通じて、希望者さんに1口3万円を振り込むことにした。

ブログで「振り込んでほしい人」を募って、震災で困っていたら誰でも可、とし、拡散してもらったんだ。

で、100人づつ、二回に分けて、計600万円を振り込んだ。

・・・

なんで赤十字や、ユニセフに募金しなかったのかというとね、理由があるんだ。

ホントか嘘か知らないけど、ああいった団体はほとんど営利目的で、実際の被災地には、1割から3割しか届かないって話なの。税金の控除の対象にはなるけどさ、実際に困ったところの人に行かなかったら、やはり許せない気持ちになるし、なにより、「今困ってる」のだから、早く届けてあげたいと思った。

だから、直接振り込むことにした。

・・・

初めからわかってやってたことなんだけど、

ブログで呼びかけた証拠もあり、「送ってください」という個別のメールも全て残っており、振り込んだ証拠も全て残っていて、

もう一回いいます、初めから覚悟してたけど、、、
税務署さんからはキッチリ否認された。

・・・

もとより、経費で落とそうなんて考えてはいなかった。ケットマネーで払うつもりで始めた。でも試しに聞いてみたってわけなの。

実際、私は多額の税金を払っているし、税金を支払うことに誇りも感じてる。もともと、社会のゴミ、寄生虫だったんだから、多額の税金を払う自分を褒めたいと思ってる。

なので、べつだん、節税できたらどう、とは思わない。

私の言いたいのは、しくみの問題なんだ。

だいたいさ、困ってる人たちがいて、そこに寄付したいと思っても、誰かがその利益を吸い上げ、現地に届かないなら意味がない。

しかも、そんなところしか、税額控除の対象になる寄付先は存在しないんだ。市町村にも、多額の税金を払ってる。確かにこれも寄付の一種かもしれないけど、自分では使い道を選べない。

もし、控除ができるなら、もっと多くの人が自分の好きなところに寄付ができるようになるだろう、そう思ってる。単純に、倍の金額を寄付できるからね。

・・・

今、私は、財団を持っています。そして、この財団が公益認定を受けるように進めています。

どちらにしても、わずかなお金。でも、自分で選んだところに、寄付をしたい。どうせ社会貢献するならば、自分の目で見て、自分の納得する所にお金を回したい。税金も払うけど、これは自分のライフワークにしたいんだ。

そう思って、公益財団法人を作っているのです。

そのきっかけになった日にちを、多分私は忘れないと思う。

それが、私にとっての、この311という日なんだ。

・・・

追伸1

写真は、PM2,5に悩まされる、中国は香港での私だよ!記事とイメージが違ったらごめんね!

追伸2

実際のところ、税金の件はどーでもよくって、あのとき、お金を振り込ませてもらった人たちから、たくさんのお礼のメールが来たの。今でも全部残してる。嬉しかったなあ。こういうものを「宝もの」っていうの。それで、十分に、私の元は取れてるのさ。





2014年3月9日日曜日

最も簡単で、大切な成功法則 No.0561


まるもり、香港におりますよ。平先生の仙人さんセミナーに出ています。

前回の記事で、お金なんてたくさんあっても生活なんて一緒だよ、的な記事を書きました。その続き。

今回のセミナーは、既に成功している人が多いの。とても優秀な人たちばかりが集まっていた。

でさ、その中で「お金持ちになりました。でもむなしい」という意見がすごい多かった(まあ、謙遜もあるし、おおむね、もっと厳しい環境に身を置かないと物足らない、という意味なんだけどね)。

でも、既に成功している人たちの多くがそういったジレンマを持っている、というのも面白い現象だよね。

本来なら「お金持ちになった!あれ買った、これ買った!何食った」といってウハウハしていてもおかしくないでしょ?でも、そうじゃなかったりする。

実は、そんなこと、何の幸せでもない、ということなの。

今回の参加者の人たちは、それを既に肌で知っている、ということでもあるのさ。

・・・

では、何のために稼ぐのか?何のためにその仕事なりを追求するのか?

それは、パッションであったり、生き甲斐であったりするのさ。

例えば、おいしい蕎麦を打ち、それを一人でも多くの人に食べてもらうことが生き甲斐の人がいたとする。その場合、儲けることが主眼ではなかったりする。儲かれば、言うことはないよね。それによって、より多くの人に、そばを食べてもらうことができるかもしれない。

一人でも多くの人を救いたい、と医療を志したりする人は、その結果、どれだけ稼ごうが(また稼げなかろうが)あまり気にしないと思う。食えないのはダメだけど。

彼らはパッションがあるから、それをやっている。儲かる儲からないは二の次だったりする。
 

・・・

所詮、お金なんて、ただの紙切れなんだよね。自分や家族、周りの人が食べれるだけの紙切れがあれば、実は十分。あとは、何のためにそれをやっているのか?なんだ。

「稼ぎました。贅沢しました」
では、決して人の心は満たされない、ということなの。

贅沢した、車買った、金ばらまいた、そんなレベルの低いことで、幸せなんて感じられないよ(まあ、多少は感じるけどね)、ということなんだ。

人間という生き物は、もっと、高尚なもの。理想に生きていたいものなんだよね。でないと、いつか「何のために稼いでいるのか」わからなくなったりする。

・・・

私の場合は「お金持ちになる=仲間を守るための力を持つ」ということ。

ちなみに、うちの親父は「弱いものを守れ。そのために強くなれ」と、私を鍛えるために殴る蹴るの暴行を繰り返しました。(べつだん暴行じゃないか)

セミナー聞いてて思い出したのだけど、なんか知らないうちにオヤジの教えを守ってるもんだね。

私が過分な力(それは財力だったり地位だったり、今の私の持つ力の全て)を持てたのは、ウチの仲間たちのおかげ。
私はそれを守るために、自分自身の力を高めていく必要がある。その結果、お金も儲かるし、またそれは仲間を守るための力が増えることを意味する、という流れなんだ。

なので、そういった作用はループするし、さらに高まっていくものなのだと思ってる。

・・・

いいカッコしてる訳じゃなくて、実際のところ、私の資産は、年収でも、不動産でも、現金や有価証券でもなく、仲間なんだ。「たとえ私が植物人間になっても、同じ環境を与えてくれるだろう仲間」こそが私の最大の資産なんだよね。

その仲間を守ること、仲間にお返しすることが、私にとって最大の優先事項であり、最も大切なこと。お金や贅沢が大切なのではないのさ。

むしろ、ウチの首脳陣の誰かがもし死んだら、その後ビジネスを続けていけるかどうか自信がないくらい。全くやる気が起きないかも。本当に引退するかもしれない。

・・・

仙人さんのセミナーを聞いていて、改めて思ったよ。いいタイミングだった。

私は10年近く前から仙人さんにそう教わってきたからさ、おかげでブレなく進んでこれた。仙人さんといつも会わせてくれる平先生に感謝。10年近くこのやり方、考え方でやってこれたから、今があると思う。

・・・

今、ビジネスを志している方、自分に問うてほしい。

その仕事(であったり、行為であったり)にパッションが存在するか。人生のすべてを賭けてもやる価値があるか。もう一度生まれ変わっても同じことをするか?

自分にその疑問を投げかけ、そしてそれが「応」ならば、成功するのは当たり前だし、むしろ成功するかどうかなんて・・・

関係なくなるのさ。

だから、結果的にうまく行ったりするものなんだ。
人生って、そういうもんだよね。

セミナー写真は撮影禁止だから、会場ホテルのロビーで友人の瀬川さんとツーショットなうーだよ〜


お金の価値 No.0560

なんか、バタバタしとります。何でかっていうと、前回帰国してから中三日しか日本にいないので、あまり時間がないのさ。このあと2時間後に、平先生と香港へ行くんだ。

真夜中なので、もう寝なきゃ、みたいな感じだけど、これから寝ると起きれないから、そのまま寝ずに空港へ行こうと思って、こんな時間に記事書いてるって訳です。

でもさ、私の場合、なんでこんなにバタバタするんだろう?と考えてみたりする。

・・・

手前味噌で申し訳ないのですが、不自由無いお金と、自由な時間と、それらを使う健康な肉体を私は持っているはず。

もともとさ、目標があってさ。

仕事をうまくいかせて、後進に譲り、さらに複数の収入源を作り、自動操縦できるようにし、お金と自由な時間を手に入れる、というのが神田先生以来の私たちの目標だったの。

・・・

で、仕事を一生懸命やって、会社もうまく行った。

なので、経営を後進に譲った。さらに複数の会社を興して、17社ほどに増えた。これもすべて後進に譲った。ありがたいことに、ほぼ全ての会社が黒字、地域一番店になっている。

ビルも何棟か買った。都内を含め、世界中にある。その家賃収入だけでも年間一億円近くある。給与収入はさらにそれ以上ある。いろんな収入を足していくと、年間3億円以上の実質年収がある。これも、1年や2年でなく、もうずっと毎年続いている。

会社は自動的に回っていき、優秀なスタッフに恵まれて、私は何もしなくてよい状態にまで持っていけた。もし、私が植物人間になっても、私の収入はほぼ変わらないだろうと思う。

なにより、私がどれだけ困っても、ウチの優秀な仲間たちが、助けてくれるだろう。

・・・

これ以上、望むものはない。

目指す目的の地に、
自分はたどり着けたはず。

・・・

ということは・・・

ヒマなはずじゃないのか?

なんでこんな真夜中に、眠い目をこすりながらFB書いてる?
ホームレスやってる人も、就職探してるフリーターも、この時間ならぐっすりいい夢見てると思うよ?

人生は、不思議なものですね。

・・・

実際のところ、まあ、そのココロは、、、

もしヒマなら、人っていう生き物は、結局何か予定を入れてしまうのよ。

なので、一緒って訳なんだけどね。

・・・

ついでに、どれだけお金あっても、結局ココイチばかり食べたりするのさ。超高い食べ物もいい。それも好きだよ。

でも、安くて美味しいものも、ちゃんと幸せを感じることができるよ。どれも、価値は変わらない。

・・・

写真は、今日のお仕事ぶり。風が強かったけど天気が良かったからフェラーリで仕事回ってたんだよ!

でもさ、駐車するのにとても困るんだよ!こないだ、少しこすったら、直すのに100万円かかった(泣)。運転しにくいしさ、乗り心地がいい訳じゃないしさ。

ちなみにロールスロイスでも、ハッキリ言って、ベルファイアの方が後ろに乗ってて楽だからね!

日本車のほうが絶対いろんな意味で便利だったり、良かったりするよね。

・・・

何も持たなかった頃と、何が違うんだろうね。

食べるのに困らないお金。
自分と家族、周りの人の健康。

これ以外に必要なものってあるのかなあ。

なんにせよ、眠い・・・




2014年3月6日木曜日

新ルンピニー No.0559

ムエタイの聖地、ルンピニーが新しくなったよ。
で、写真を並べて載せるので、格闘技好きな人は見てちょんまげ。