2019年6月1日土曜日

孤独死 No.0910

老人ホームで孤独死だってさ。なんの事かよくわからないんだけど、最近、孤独死の話をよく聞く。そこで、前回の記事のBさんから伺ったお話を、少しシェアするね。

「孤独死なんて、無いよ」

ってお話。


・・・


主題からは余談になるけど、Bさんはこうおっしゃる。


「日本は、安楽死を認めるべきだ」


私も心より賛同させていただきます。


・・・


私も、自分の死は自分で選びたい。それが生き物としての最後の権利。


死ぬのは誰でも怖いさ。


しかし、最も怖いのは、死ぬことじゃない。


自死。そのことを選べない自分になること。自分が自分で無くなること。


その方が死ぬよりずっとつらい。


・・・


だから、私は、アルツハイマー等になって自分がわからなくなるくらいなら、安楽死を選びたい。苦しいの嫌だしね。


しかし、今の日本では、それは叶わない。


だから、私は身内に強く言明する。


「俺がアルツ等になって、自分がわからない人間になったら、社員、身内に関わらず、必ず誰にも見に来させるな。施設で死なせろ」


そして、、、

死んでから見に来い、と。


・・・


秘書のフナにも、しっかりと頼んである。


実行されるかは知らん。何にしても、自分はタタミの上で死んではならない人間だと思ってる。


アルツ後の面倒など、見て欲しくもない。


・・・


Bさんも、安楽死を望む方。


で、さらにBさんは、


「ヒロタくん、この問題がどこにあるか、わかりますか?


安楽死が良いか悪いかではないよ。この国は、その議論自体がなされないようになってる。


それが問題なんだ」


・・・


なるほど、仰る通りだな、と。最近流行りの大麻事件なんかも同じだよね。


大麻なんてガン細胞を減らすらしいもんね。でも、大麻と口にしただけで薬物中毒扱い。


自分の命を守るために、自宅栽培してた人が捕まった。彼は生存の権利を訴えた。多分裁判は勝っただろう。


法曹界では「国が負ける、生存の権利の方がずっと強い。大麻取締法は変わるぞ」と色めきたった。


しかし、その本人が公判中に死んだ。その後、話は消えてしまった。


そして、良いか悪いか?自体は今も論じられてない。


・・・


主題に戻そう。


「孤独死」。


孤独死は嫌だねえ。なんか、寂しい響きだね。みじめだね。怖いねえ。そんな感じをかもし出す言葉だねえ。


さて、そこで冒頭の言葉に戻るよ。


「孤独死なんて、存在しないよ」


とBさんは語る。


「死ぬときなんて、誰でも一人なんだから」


・・・


ああ、そうか。


孤独死なんて、恐れる必要なんてない。


誰でも死ぬときゃひとりなんだから。


そしてもし、それを避けようと思うなら集団自殺しなきゃなんない。それでも、同じ時間に息をひきとるわけじゃない。また、そうだったとしても、なんの意味もない。


孤独死なんて、むしろ当たり前の話。孤独以外に、一体どんな死に方がある?


・・・


孤独死を、死後の放置された遺体の、処理の問題とするのなら、心臓に発信機でもつけて、止まったら誰かに連絡が行くようにすればいい。


そんなビジネスもそのうち生まれるかもね。


・・・


Bさんが言われたいことは、、、


いかにも恐ろしい「孤独死」という言葉は、


煽るためにマスコミに作られただけのハッタリの言葉であって、


そういう問題があるのなら、真っ向から皆が考え、議論し、本質を追求すべきであり、


マスコミやいろんな「我々を操作しようとする」ものに踊らされちゃいけないよ、ってことなんだ。 


・・・


本質を見るのは難しいことじゃない。


簡単だよ。


自分たちの頭で考えればいい。


そして、タブー化せずに、議論する。それだけなんだよ、と。


・・・


死ぬときは、みな孤独。


取り立てて騒ぐことですらない。そして、その人生を、寂しいとか、かわいそうと他人から言われる必要もない。


ここで、前回の記事の「ジャッジメント」のテーマに戻る。


それ、決めるのは、、、

自分だけなのだから。


・・・


もう一度言うね。


幸せかどうか?人生の勝ち負けがどうか?孤独死が辛いものかどうか?全て、


ジャッジするのは自分自身。


他人がどう思うか?世間の常識がどうか?は、判定に影響しないんだ。


・・・


写真は、新美術館のベンチだよ。気持ちよかったからゴロリと寝てたら、係りのおねいたま(私より年上)に叱られたよ。


孤独死してると思われたのか?それとも浮浪者と間違われたからか?それは知らないよ!おねいたま、怖かったよ!



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