安倍さんという友人がいる。
平先生と安倍さんと三人兄弟のように建築業界で20年以上過ごしてきた。
安倍さんは「あんばい」さんと読み、聞くところによると安倍晴明の末裔とか違うとか。
実際、手かざしで病気を治したりもする(と思う)。
今をさること30年くらい前、安倍さんが独立をする時の話。
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元々、勤め人時代から「北関東のモンスター」と呼ばれ、怪物扱いされていた。
エピソードとしては、訪問販売で年間20軒以上の住宅を販売した、赤字だった建築会社を利益一億円に押し上げた、
極め付けは、、、
あの神田昌典先生が「安倍さんが独立するなら私がスポンサーになる」と言わしめた、そんな人間。
もちろん、私も資金を出させてもらえるものなら、迷うことなく全額出しただろう。
勝ち馬券をもらったようなものだからだ。
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安倍さんとの出会いは、平先生の軽井沢のセミナーだった。
平先生は、「廣田さんは安倍さんとと一緒の部屋にしたからね」と。
それが安倍さんとの出会い。
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当時、安倍さんはまだサラリーマンだった。
ただ、アイデアマンであり、実際サラリーマンにしておくのがもったいようなほどの伝説を残し続けていた安倍さん。
同室で、夜がふけるまで話し続け、ものすごい刺激になった。
その後も安倍さんにはものすごいアイデアと刺激をもらってきた。
「子育て世帯のコミコミ住宅」というネーミングは商標登録されていて、一時期かなり多くの会社がそれを使った。元は安倍さんの発想だった。
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何年か後に、平先生に「なぜあのとき安倍さんと同室にしてくれたのですか?」と聞いたことがある。
「この2人がこの先業界を背負っていくだろうと思った。だから同室にした」と教えてくれた。
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前置きが長くなってしまった。
私が言いたいのは安倍さんの独立エピソード。
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安倍さんが独立する際、スポンサーは山ほどいた。しかし、安倍さんは自分の力だけで、とお金を集めずにスタートした。
まず、住宅屋は、「見せる家」がないといけない。
しかし、それはない。
で、安倍さんが考えついたのは、野原にテントを立てて見学会をするという方法だった。
お客様が来る(チラシは平先生がいたので人は来る)。
お客様はいう。
「あれー?見れる家ってないの?」
そこにはテントしか立ってないからだ。野原にテント。家はない。見学会と違うやん、って感じ。
安倍さんはいう。
「なーにいってんすか、それを説明するために私たちがいるんじゃないですか」
「家を見せる」という見学会のチラシで人を呼んで、家はないと言うのだから、怒って帰る人がいても何もおかしくはない。
しかし、怒るお客様は1人もいなかった。
やはり、物を売るのは「人」。みんな安倍さんの人柄、態度に魅せられ、誰一人怒る人間はいなかった。
果たしてその日、家のない見学会を行ったその日のお客さんから、安倍さんは3件の受注をいただいた。
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違う問題もあった。
事務所は借りた。お値打ちな事務所で、社員はいない。もちろん事務員さんを雇うお金もない。
安倍さんは考えた。
「菊池桃子さんに働いてもらおう」
建材メーカーの置いていった菊池桃子の立て看板を階段の上がったところに置き、それを事務員さんがわりにした。
「事務員さん?いるじゃないですか。ここに」
お客様はニコッと笑って「経費削減なんだね」と微笑ましく返してくれた。
喋らないし、お茶も出さない事務員さんだけれど、お客様はむしろ喜んでくれたそうな。多分独立から一年くらいは働いてくれてたと思う。
(後日談だが、このエピソードを菊池桃子さんご本人にお伝えする機会があったとか)
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話が長くなったが、勤めるときに条件だ、環境だという人が多いと聞く。
そうでなく、どんな条件でも環境でも、やるやつはやるんだよ、と。
そんだけ。
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これから独立を考える若い人たち、独立に必要なのは、こういう「強さ」だよ。☺️
写真はよくわからんけど菊池桃子さん。
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