顔パン先生ことまるもり、またサボってしまったよ。
少し前の話になるんだけどさ、海外のホテルでぐっすりお休みしていて、なんか、深夜に目が覚めたの。
で、「うーん、何時だろう」と思って携帯を取ったら、いきなり携帯が鳴りだした。
H先輩からの着信だった。
すぐに、ピンと来た。電話を取るなり、、、
「先輩、この時間に電話くれるということは、ひょっとして師範・・・」
私は開口一番、そう話しました。
H先輩は電話口で、泣いて言葉になりません。
そうか、師範、、、
逝ってしまわれたか。
私は、今海外です、お葬式に間に合わないかもしれないけど、帰国次第、ご焼香に伺います、と電話を切りました。
・・・
以前、一月の終わりだったかな、記事を書いたとき。
病院へお見舞いにいって、病室のベッドでお会いした師範は、高齢ということもあり、ずいぶんと痩せてしまわれてたけど、その大きな拳は昔のままだった。
ほとんど話すこともできない状態だったのに、私が「師範、ヤスユキですよ」というと、涙を流してくれていた。
・・・
ご焼香に伺い、ご家族の方々からいろんなお話を伺った。
あの後、私が病室を去った後も、ご家族の方が「ヒロタさんはご立派になられたね」と話しかけると、首をウンウンと少し動かして涙を流してた、と聞いた。
師範は、長女さんととても仲が良かったらしく、また、長女さんもずっと看病をしてたそうな。
師範の口癖は、「俺はお前の誕生日に死ぬから」というものだったらしい。
長女さんは私に話してくれます。
「父はね、いつもそう言ってて、お前の誕生日なら、お前の好きなものをお供えしてくれるだろう、忘れないだろう、って」
・・・
昔、戦国時代、最強といわれた武将の一人、「笹の才蔵」と呼ばれた、可児才蔵吉長という人がいた。一度の合戦で、20以上の首を取る、と言われた人。
その可児才蔵は、「自分愛宕権現の命日に死ぬ」と言い続け、実際、愛宕権現の縁日に、甲冑を付け、床几に腰を据えたまま息を引き取った、と言われてる。
・・・
享年88歳。
大往生と言っていいだろう。
師範がお亡くなりになったのは、
長女さんの、誕生日に
切り替わったすぐの、、、
0時20分だったらしい。
・・・
師範、頑張ったね、約束守ったんだね。
生き様、学ばせてもらいますね。
押忍。
・・・
大切な人が亡くなってしまう。
これは仕方のないこと。
死なない人間はいない。
そして、自分たちも、いずれ逝く。
今を生きてる自分たちにできることは、忘れないこと。
忘れなければ、自分の心の中で生きてるってことになるんじゃないかな。
・・・
葬式の会場は、多くの人でごった返していて、空手関係者も多かったと聞いた。師範の人徳がわかる。参列者の人たちは「師範、今度はあっちで空手やってるよ」と口を揃えていたらしい。
ひとつのことに賭ける人生は、きっと素晴らしいものだったに違いない。
師範、ご苦労様でした。
安らかに眠ってください。
追伸
この場を借りて、H先輩に感謝します。先輩のおかげで、ご存命中に師範とお会いできました。痩せてはいたけど昔と同じ大きな拳を握ったあの瞬間、あれは何ものにも代え難いものでした。ありがとう。押忍。
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