大切な人が癌になった。子宮頸がんのステージ4だった。
コロナでお見舞いも行けず、病状を知ったのも、つい最近だった。
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知る人ぞ知る、そんな人。
神田昌典先生や本田健さんのアドバイザーで、みんなから「姉さん」の愛称で呼ばれていた。
平先生はもちろん、名だたる昔からのマーケッターは皆、お世話になってる。
名前を知ってる人は多くても、会ったことのある人は少ない。
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私も姉さんとはよく海外、アメリカにイギリスにと、世界中ご一緒させていただいた。
姉さんとは神田先生グループ内のタバコ仲間で、いつもセミナーや旅行を抜け出してタバコを吸ってた。フォレスト出版の太田大将と、神田先生のパーコン筆頭の澤田先生といつも4人だった。
また、ウチのチームぐるみ、家族ぐるみで世話になり、悩んだ時はよきアドバイスをくださり、それですごく助かった。
年齢もひとつ上、会えばいつも元気をくれる、本当に姉さんのような存在だった。
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以前、平先生の還暦パーティーに、神田先生が列席してくださった。
これは、古くからのマーケッターにとって、結構な大事件だったの。
平先生は、神田先生が来てくれるのが一番嬉しい。しかし、そうはいかない事情のようなものもあった。
もちろん、私たちも神田先生が来てくださるとは思ってもいなかった。
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姉さんに相談したところ、姉さんは私にこう言ってくれた。
「神田っちには、姉さんから話してあげるから、ヒロタさん、安心しな」
その後、神田先生からファックスがあった。それを見つけたスタッフがこう叫んだ。
「神田先生、ご参加!」
事務所内がどよめいた。
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会場では、神田先生が、素晴らしいスピーチをくださった。その内容、言葉の気遣いに、皆が涙した。
平先生は、私に深々と頭をさげ、「ありがとう」と言ってくれた。私も泣けてきた。
神田先生がご参加くださったことで、私の平先生への弟子としての最高の恩返しができた。
あれは全て、姉さんのおかげだったんだ。
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その、姉さんが体調に異変を感じはじめ、病院に行ったのが、コロナに入るか入らないかの時期。
調べたら、子宮頸がんのステージ4だった。
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最近連絡が取れないなあ?お会いできるスケジュールが来ないなあ?コロナだからかなあ?お身体大丈夫なのかなあ?
などと思っていた会員さんは多かったろう。
そんな時、一つのレターが届いた。
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そこには、病状の説明と共に、こう書かれていた。
《ガンの家系だったので覚悟はできてる。抗がん剤はお断りした。
元々、オマケの人生って言っていただけあって、我が人生に本気で悔いがない。
「長生きはしたくない」、「ちゃんと生きないと死ねないからね」 と言い続けてきているし、だからそんなにみなさんは心配しないで欲しい。
本当に自分でもびっくりするぐらい思い残しがない。
おかげさまで食べたいもの食べて、行きたいところへ行って、欲しいもの買ってという人生を、小さな頃からずっと歩ませてもらって、そうやって生きるにはどうすればいいかって生きてきたから、そうやって生きてます。
ちょっと気がかりはもう少し部屋の掃除をしたいことだけ。》
(文中略)
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最後の言葉はこう結ばれてた。
「みなさん、ちゃんといい子に、ちゃんと自分の人生を生きるんだよ。わかった?じゃあね」
これが、姉さんを慕った者への、最後の言葉になった。最後まで、本当に姉さんらしい言葉だった。
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お見舞いも行けなかったし、訃報を聞いても、お葬式にすらも行けない。
(コロナが憎いし、既に宝くじレベルの感染者に怖がり社会を潰す、そんな世間の意識をも憎んでしまう)
姉さんに感謝の気持ちと共に、ご苦労様、お世話になりました。姉さんの存在で、多くの人が道を誤らず、助けられました。
ちゃんといい子に、ちゃんと自分の人生を生きていきますね。一生懸命。
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