久しぶりに地元に帰った。
時短により、街は灯が消えたようだった。
何十年の付き合いのママがいるので、ひょっとしたら開いてるかなーと、馴染みの店の前を通った。
店自体が無くなっていた。
・・・
店のあった小さなビルは取り壊されて、更地がそこにあった。
友人に電話した。
「いま、〇〇の前を通ったんやけど、なんか、店がない。潰れたというか、存在してない!」
すると、友人は、
「知らなかったんか?」
何を?
「ママ、亡くなったぞ」
・・・
私が二十歳の頃だっただろうか。友人が仲良かったせいもあり、そのママの店によく通った。それからの付き合い。
何十年も続き、地元では知らない人間はいないほど有名。常にキチンと客を守る、そんなママだった。
ここ数年は、たまに行くと、チップとしてお小遣いをあげていた。「アンタ、六本木やろ、今度東京行くから案内してよ」「嫌だ」なんて会話をしてた。
もう、かなりな歳で「死ぬまでにちょっとでも顔出したらなアカンなあ。お小遣いあげに行かなきゃ」と思ってたりした。
でもコロナ騒ぎで、しばらく行ってなかった。
・・・
以前に私が行ったしばらくあと、血を吐いて倒れたらしい。病院に運ばれ、ステージ4と診断された。
折しもコロナ真っ最中。
ママは誰にも看取られず、旅立ったとのことだった。
・・・
ママの娘さんはこれまた既に亡くなっており、引き取る身寄りもなく、無縁墓地に埋葬されたと聞く。
複雑な家庭環境で、元々家族との縁がほぼ無かった人だったせいもある。
・・・
最後に店に伺ったとき、コロナの給付金の話をした。「何それ」というので、ウチの秘書が申請を手伝った。
「お金降りたよ」と喜ぶ、秘書への連絡が最後だった。
最後に、少なくともお金の心配はせずに逝けたのならありがたい。
・・・
そのママは、自分の人生を貫いた。詳しくは言えないが、いろんなことがあった人生だった。
自分を通すか?世間に迎合するか?の中で自分を通した。
自分を貫いて死ねた。
本人が幸せだったかどうかは知らない。しかし、後悔のない人生であったのではないか。
・・・
願わくば、ひとこと、礼を言いたかったなあ。
こんな時期でなければ、見舞いも行けたろうし、店の常連客たちで墓くらい建ててあげることもできたろうに。
ママ、ご苦労様。
何十年と、飲ませてくれてありがとう。
最後に礼を言えず残念がっている客は、俺だけじゃないと思うよ。
ありがとう。
ゆっくり休んでね。
・・・
ママの店のあった建物はすでに解体され、今は更地になっている。
ここに、この街で誰もが知ってるママがいた。最後まで自分の愛した店に立っていた。
私もかくありたい。
自分の人生を、自分の思う理想に近づけるため、一生懸命に生きていかなきゃね。男を磨こう。頑張ろう。
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