京大の教授にお会いしてきたよ。
ミャンマーでお世話になったんだ。コロナ前のことだから、もう三年近くになるんだね。私の古くからの友人が、ミャンマー政府に招かれて、教授と共に政府の人たちと新技術の打ち合わせに行ったの。
JICAの推進プロジェクトだったのかな。そこに私も同伴させてもらい、当時のミャンマー政府の大臣たちと席を同じくさせてもらった。
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で、その際、ヤンゴン工科大学の優秀な生徒たちを日本に留学生として招聘した。
京都大学への留学生だから、まあ向こうで言えば超エリートだよね。
その子たちがこの度、めでたく卒業と相なったので、教授にご挨拶に来たってわけ。
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あの時は旧政府だったミャンマーも、その後すぐにクーデターが起こり、軍事政権になった。
留学生の子たちも、帰りたくても帰れなくなった。
何より、入国が許されないし、もし許されても、入国次第、そのまま投獄されてしまう。
命の保証もない。
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彼女らの実家の前の道路では、簡単に人が銃で56されている。
その動画が家族から頻繁に送られてくるのだ。
確かに、自分達が帰らないことで自分自身の安全は保証される。
親から見れば安心かもしれない。しかし本人たちはそうは行かないだろうね。
かなり精神的に参っているようだった。
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ウクライナで目立たなくなったけど、世界中で紛争は起こり、かつ長引いたりもしている。
(ミャンマー軍事政権に武器を供給してるのは、元はC、今は露らしい)
この先も多分軍事政権は続き、好転の可能性は少ないだろう。
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ミャンマーにはなぜか縁がある。
友人はミャンマーで一番大きな不動産屋を営んでいたし、ミャンマーのフリーペーパーを発刊されていた方にもお世話になった。日本で大変お世話になっている方の息子さんもミャンマーに行かれていたと耳にした。
割と周りの人たちがミャンマーに何かしら関わっていたりした。
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ヤンゴンの金色に輝く寺院、オレンジ色の街灯、機内から眺めたタウンジーの赤い田畑を思い出す。
国会議事堂の前に幅60メートルの道路を持つ、世界一異様な都市と言われるネピドーには前政権を避難させるジャンボは着いたのだろうか?
ヤンゴン工科大学の生徒たちや、JICAの職員さんたちは無事だったろうか?
家族を想い、不安そうな顔をする留学生たちの顔を見ながら、そんなことを考えてしまったよ。
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世界から紛争がなくなればいいのに。しかし、現実はそうはいかない。
その中でどうやって生きていくか?しっかり考えなきゃいけないね。
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ほんとは京大で研究している内容について、話しても問題のないレベルで書こうかなと思ってたんだけど、、、
留学生の娘たちの顔を見てたら、違う内容になってしまった。
紛争地域の人たちが少しでも安全に過ごせる日が来ますように。お祈り申し上げます。
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