私の座右の銘は二つ。「何でもコヤシ」そしてもう一つは「与えるものは王者なり」。
この言葉は、畠中平八さんという、小説「相場師」のモデルになった方の、座右の銘だった。株の世界で神様のような存在。
畠中さんがお亡くなりになって、もう四年ほどになるかしら。
・・・
たまたま、私は35年ほど前に、この畠中さんとお会いしたことがあるの。
当時若かった私に、畠中さんはいろんなお話をしてくれた。
精強で知られる土佐四十四連隊(死屍連隊と呼ばれた)という、二度も全滅した部隊の、たった二人のうちの生き残り。
並みの運ではない。
開戦と同時にフィリピンに入り、終戦までいた。戦争の話をいろいろしてくださったのだけど、
一番心に残ったのは、戦争で行った地域に、戦後、自費で学校を建てたことだった。
・・・
若い私は思った。
いつか、自分がお金持ちになったら、貧しい地域に学校を建てよう。そんな人間になりたいなあ。
その頃の私はキックボクサーで、当たり前に貧乏だった。スポンサーが付いていてくれたので、働かなくても多少の生活はできたけれど、所詮「金持ちになったら」という、現実味のない夢ではあった。
・・・
20年ほど経って、私は多少なり、ある程度のお金を持つようになった。
で、平先生に話した。
「先生、学校を建てましょう」
・・・
平先生は快諾してくれて、セミナーを開いて資金を募り、第1校目を仲間たちと建てた。
マーケッターの仲間たちだった。
瀬川さん、加藤さん、森下さん、小暮さん、山口さん、中村さん、伊勢さんなど、多くの人が一緒にカンボジアに渡った。
のちに紳助さんがテレビで有名にしたけれど、当時、まだ誰もカンボジアには注目していなかった頃だった。
・・・
それから、あれやこれと10校くらい建てただろうか?留学生の支援を行い、日本に受け入れたりもした。
もうずっと行ってないけど、カンボジアはどんどん復興し、ずいぶん豊かになったように思う。
プノンペン市内の小学校は、すでに行き渡ったとも聞いた。
・・・
さて、そんな中、たまたま6/月13日のTVアンビリーバボーを見たんだ。
地雷撤去の必要性を感じ、カンボジアに骨を埋めようとしている元自衛隊員さんのお話。
見てて、涙が出たよ。
あれが、本当の支援だ。
・・・
見た人いるかな?すごいよね。よくあれだけできる。
ああいう人たちが、カンボジアの復興に寄与し、そして、あと10年もすれば国自体が変わってくるだろう。
素晴らしいよ。
・・・
「与えるものこそ王者なり」
私は与えてるかなあ?今も周りに与え続けているかなあ?
もし自分が理想としての王者という意味のものを目指すなら、やるべきことをやれているのだろうか?
・・・
私が寄付したから偉いとか、ええカッコしようとしてるから価値がないとかあるとか、そんなことはどうでもいい。
ジャッジは自分だったよね。
私たちは、生涯をかけて、「自分のなりたい自分」を追求していくだけのことだよ。
自分のなりたい自分を目指す。
それが、人生の目的だと思う。
・・・
たまに振り返ってみよう。
私は、自分のなりたい自分に、近づいているのだろうか?そしてその努力を今も続けているだろうか?
私は、、、
ちゃんと戦えているのだろうか?
自分のやるべき命題に。
・・・
まあ、そんなことを改めて思ったよ。アンビリーバボーを見て。
まあ、たまにはテレビもいいもんだね。
・・・
写真はプノンペンの学校だよ。
校名は「心に太陽を」。もう、12年になるんだね。
一緒に行ったみんな、楽しかったね。誰かがインタビューでこう答えてたね、瀬川さんだっけか?
「子供達の笑顔を見た。本当にプレゼントをもらったのは、、、
私たちの方でした」
0 件のコメント:
コメントを投稿