老人ホームで孤独死だってさ。なんの事かよくわからないんだけど、最近、孤独死の話をよく聞く。そこで、前回の記事のBさんから伺ったお話を、少しシェアするね。
「孤独死なんて、無いよ」
ってお話。
・・・
主題からは余談になるけど、Bさんはこうおっしゃる。
「日本は、安楽死を認めるべきだ」
私も心より賛同させていただきます。
・・・
私も、自分の死は自分で選びたい。それが生き物としての最後の権利。
死ぬのは誰でも怖いさ。
しかし、最も怖いのは、死ぬことじゃない。
自死。そのことを選べない自分になること。自分が自分で無くなること。
その方が死ぬよりずっとつらい。
・・・
だから、私は、アルツハイマー等になって自分がわからなくなるくらいなら、安楽死を選びたい。苦しいの嫌だしね。
しかし、今の日本では、それは叶わない。
だから、私は身内に強く言明する。
「俺がアルツ等になって、自分がわからない人間になったら、社員、身内に関わらず、必ず誰にも見に来させるな。施設で死なせろ」
そして、、、
死んでから見に来い、と。
・・・
秘書のフナにも、しっかりと頼んである。
実行されるかは知らん。何にしても、自分はタタミの上で死んではならない人間だと思ってる。
アルツ後の面倒など、見て欲しくもない。
・・・
Bさんも、安楽死を望む方。
で、さらにBさんは、
「ヒロタくん、この問題がどこにあるか、わかりますか?
安楽死が良いか悪いかではないよ。この国は、その議論自体がなされないようになってる。
それが問題なんだ」
・・・
なるほど、仰る通りだな、と。最近流行りの大麻事件なんかも同じだよね。
大麻なんてガン細胞を減らすらしいもんね。でも、大麻と口にしただけで薬物中毒扱い。
自分の命を守るために、自宅栽培してた人が捕まった。彼は生存の権利を訴えた。多分裁判は勝っただろう。
法曹界では「国が負ける、生存の権利の方がずっと強い。大麻取締法は変わるぞ」と色めきたった。
しかし、その本人が公判中に死んだ。その後、話は消えてしまった。
そして、良いか悪いか?自体は今も論じられてない。
・・・
主題に戻そう。
「孤独死」。
孤独死は嫌だねえ。なんか、寂しい響きだね。みじめだね。怖いねえ。そんな感じをかもし出す言葉だねえ。
さて、そこで冒頭の言葉に戻るよ。
「孤独死なんて、存在しないよ」
とBさんは語る。
「死ぬときなんて、誰でも一人なんだから」
・・・
ああ、そうか。
孤独死なんて、恐れる必要なんてない。
誰でも死ぬときゃひとりなんだから。
そしてもし、それを避けようと思うなら集団自殺しなきゃなんない。それでも、同じ時間に息をひきとるわけじゃない。また、そうだったとしても、なんの意味もない。
孤独死なんて、むしろ当たり前の話。孤独以外に、一体どんな死に方がある?
・・・
孤独死を、死後の放置された遺体の、処理の問題とするのなら、心臓に発信機でもつけて、止まったら誰かに連絡が行くようにすればいい。
そんなビジネスもそのうち生まれるかもね。
・・・
Bさんが言われたいことは、、、
いかにも恐ろしい「孤独死」という言葉は、
煽るためにマスコミに作られただけのハッタリの言葉であって、
そういう問題があるのなら、真っ向から皆が考え、議論し、本質を追求すべきであり、
マスコミやいろんな「我々を操作しようとする」ものに踊らされちゃいけないよ、ってことなんだ。
・・・
本質を見るのは難しいことじゃない。
簡単だよ。
自分たちの頭で考えればいい。
そして、タブー化せずに、議論する。それだけなんだよ、と。
・・・
死ぬときは、みな孤独。
取り立てて騒ぐことですらない。そして、その人生を、寂しいとか、かわいそうと他人から言われる必要もない。
ここで、前回の記事の「ジャッジメント」のテーマに戻る。
それ、決めるのは、、、
自分だけなのだから。
・・・
もう一度言うね。
幸せかどうか?人生の勝ち負けがどうか?孤独死が辛いものかどうか?全て、
ジャッジするのは自分自身。
他人がどう思うか?世間の常識がどうか?は、判定に影響しないんだ。
・・・
写真は、新美術館のベンチだよ。気持ちよかったからゴロリと寝てたら、係りのおねいたま(私より年上)に叱られたよ。
孤独死してると思われたのか?それとも浮浪者と間違われたからか?それは知らないよ!おねいたま、怖かったよ!
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