2019年5月30日木曜日

スタンド、アンド、ファイト No.0909

イエス高須先生がかなり大きな手術を連日に渡り行われる。ガンは、かなり進行しているのかもしれない。

高須先生にもしもの事があったら、この日本はどうなるんだろう、と暗澹たる気持ちになる。


どうか、よくなっていただきたい。


・・・


こんな、命の瀬戸際になっても、高須先生は「チャレンジできるから幸せ」と話す。


こけおどしじゃない。


だって、本当に手術室から生きて出られない可能性も否定できないのだから。


・・・


人の人生は一編の詩になる、と言われてる。その最終章に至っても、高須先生は笑みを絶やさない。


大変な事だよね。


・・・


私たちはカラテバカ一代の世代で、漫画に影響されて格闘技を始めた人間が多い。


その主人公であった大山倍達氏も、賛否両論あるが、最後はとても綺麗だった。


肺ガンが見つかった時、手術を進める周りの人間にこう言った。


「私は武人として生きてきた。体にメスを入れてまで、助かろうとは思わない」


言葉通り、そのまま死を選んだ。


・・・


人の最後って、どうだろう。


よく、最後に笑えば勝ち、みたいなことを言う人も多い。


逆もある。最後寂しく死んでも、それまで好き勝手やってたじゃんとかね。


どちらもよかろう。


・・・


私のお世話になっている超お金持ち(少なくとも私の二桁上くらい)の方がいる。


ほとんど表には出られない方なので、お名前は出せない。ここではBさんとしよう。


そのBさんが先日、お誕生日をお迎えになった。


その席上で、こう切り出された。


“自分はずっと人生でチャレンジを続けてきた。君たちにも、ぜひチャレンジをし続けて欲しい。


人生の勝ち負けなんて、考えちゃいけない。考える必要すらないんだ。なぜなら、君らの人生の勝ち負けは、、、


あ、ヒロタ君はボクサーだったからわかるよね”


と前置きをつけてくれた。
その瞬間に私は答えがわかった。


・・・


Bさんは続けた。


“心配することなんてないよ、なぜなら、、、


勝ち負けを決めるレフェリーも、判定をするジャッジも、全て君たち自身が務めるのだから”


と。流石の一言だった。


・・・


高須先生は命を失うかもしれない環境の中でも、「新たなことにチャレンジ」と、闘志と希望を燃やしてる。


私たちはまだ若く、時間を持ってる。


もっとチャレンジしよう。やりたいことをとことんやって、この命を燃やそう。


・・・


最後の時、自分の人生の勝ち負けを決めるジャッジメントは自分であり、その勝ち負けの判定は、、、


自分だけの中にある。


良し悪し、勝ち負けを心配する必要なんてない。


なぜなら、勝利はすでに、私たちの中にあるのだから。


・・・


まあ一応、今日はジャッジメントということで、ボクサー時代の写真だよ。


30年以上も前の、無名の若者の、人生の分岐点。出陣の前だ。


リングで戦うボクサーには、一つの言葉しかない。


スタンド、アンド、ファイト。
立て。そして、戦え。

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