2022年5月12日木曜日

昭和の日 NO.1245

 昨日は昭和の日。橋本琴絵さんのTwitterより。素晴らしいのでシェアさせていただきました。
 
 
*****
 
昭和の日。昭和天皇が御生まれあそばされた日。
 
昭和天皇はあのとき、こう言われたと通訳官は証言しています。
 
Kill me, but not those who acted in my name.
「私を殺せ。しかし私の名で行動した者たちを殺すな」
 
私はこの話を聞くと涙が出ます。
 
・・・
 
「ヒロヒトが40歳過ぎね猫背の小男ということを日本人に知らしめる必要がある。神じゃなくて人間だ、ということを。それが民主主義教育というものだ」
 
民政局のケント少佐はこう語り昭和天皇の全国訪問に随行した。
 
・・・
 
昭和天皇は『戦争により国民の生命を失ひ災厄を受けた。どうすればよいのかと考へ、また退位も考えた。しかし、全国を隈無く歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちがらせる為の勇気を与へることが自分の責任と思ふ』
 
    御巡幸の打診を受けた占領軍総司令部は上記魂胆もあって許可した。
 
・・・
 
国民に昭和天皇は「生活状態はどうか」「食べ物は大丈夫か」「家はあるのか」と聞かれた。昭和天皇の行幸を知った群衆が待ちかまえ、自然に「天皇陛下万歳」の声が巻き起こった。昭和天皇が帽子をとってお応えになると、群衆は米兵の制止も振り切って、車道にまでなだれこんだ。
 
・・・
 
敗戦直後で宿舎がなく列車の中や、学校の教室に泊まられた。「国民のことを考へればなんでもない。風呂に入らなくともかまはぬ」と言われた。
 
福島県の常磐炭坑では地下450mの坑内を歩かれ、40度の中を背広ネクタイ姿で、上半身裸の鉱夫たちを激励された。深い坑内で天皇陛下万歳の声が轟いた。
 
・・・
 
広島市では多数の原爆孤児に会われた。原爆で放射能で頭のはげた一人の男の子の頭を抱え、昭和天皇は目頭を押さえられた。
 
 民政局のケント少佐は、原爆を落とされた広島の地ですら誰一人として天皇を恨む者がいないことに、ただただ驚き、『神の存在』を目の当たりにした。
 
・・・
 
昭和天皇は、位牌を二つ抱きしめた戦災孤児の女の子に「お父さんとお母さん?」と尋ねられた。「はい。父は満州国境で名誉の戦死を遂げ、母は引き上げ途中亡くなりました」と女の子は答えた。
 
 昭和天皇は手を伸ばされ、女の子の頭を撫でられた。
 
  「お父さん」
 
女の子は小さな声で昭和天皇を呼んだ。
 
・・・
 
昭和63年9月、昭和天皇が病床につかれると、「もう、だめか」と言われた。医師たちはご自分の命の事かと思ったが、実は「沖縄訪問はもうだめか」と問われたのである。
 
御巡幸の沖縄に寄せられた昭和天皇の御心は、上皇陛下によって平成5年に果たされた。
 
国際派日本人養成講座H12.04.29より
 
*****
 
FBは一つ目の記事のみで、また、Twitterが複数にわたるため、まとめて記載させていただきました。橋本琴絵さん、ありがとうございます。いつかまた改めて政界に出られる際は応援させてくださいませ。




0 件のコメント:

コメントを投稿