2014年4月21日月曜日

平先生が裸で暮らしているか否か No.0568

先日、財界のお知り合い(東証一部上場企業の社長)から「平さんって、最近は若い女性達と裸で暮らしてるって本当?」って聞かれた。なんかそんな噂を聞いた、と。


へえ、それが本当なら、ハーレムですね、と答えておいた。


そんなの、考えたらわかるじゃん。
見たことねーよ、そんな人間。
裸族じゃないんだからさ。


まあ、実際のところ、先生も、FBとかでも「毎日、複数の20代の女性と入れ替わり立ちかわり・・・」なんてこと書いているからさ、仕方が無いかもしれないけど。(実は4ハンドマッサージってオチなんだけど)

現実には一人の人を、ちゃんと大切にしてるよ。


・・・

ネットビジネスの中で、キャラクタービジネスが多いけどさ、キャラづくりってあるよね。

ある程度、「こう望まれる人間像」であったり、意表をついて注目を集めるキャラであったり、そんなのを作って、みんなおのおのキャラをたててる。

ある意味、エンターテイメント性もあるんだ。

でも、それが一人歩きすると、ネットに興味のない世代(上記の知り合い)でも、(平さんは)本当にそんな人なんだ、と思ってしまう。

原因は自分にあるかもしれんけど、なんでみんな、額面通りに取るかね?

他の、ネットで有名な人、一般的には傍若無人っぽいイメージの人も、会って話すとすごく礼儀正しい人だったりする。芸能人だってそう。イメージと実際って、結構違うのさ。

やはり、どんな情報も自分の目と頭を通すべきだよね。

・・・


平先生の場合、一般的にネットで有名、って感じがするけどさ、ネットの売り上げなんて、先生の売り上げの1/10以下なんだよね。

平先生と私と足すと、売り上げは年間100億円を超えてる。(なんで足すかというと、二人で株の持ち合いしてる会社が多いから)

その中のネット割合なんて、ほんのわずか。

しかも、最近はほとんど利益を載せていないから、ネットビジネスは、ほぼ趣味なの。たぶん、単に楽しんでるだけだと思う。


実際は、平先生も、
ネットではなく実業でこそ稼いでるんだよ。

つまり、ネットでの顔は、平先生に取って、ほんの一部なの。

まあ、今日は、冒頭の質問があったので、ちょっと説明っぽくなっちゃった。


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写真は、平先生と銀座のお店で久兵衛さんの出前を食べてるとこ。

並木通り8丁目(一番高いとこ)なんだけど、
私は会員なのでタダなんだよ。いーでしょー





2014年4月20日日曜日

平先生のPTセミナー No.0567

平先生のPTセミナーに出たよ。PT(パーマネントトラベラー、永遠の旅行者)っていうと、どうも納税逃れで世界中逃げ回っているイメージがあるけど、実は違うんだ。

まあ、そのココロは平先生のサイトで見てね。

確かに、日本はお金持ちをいじめる国です。

税率はどんどん厳しくなるし、取り立て(?)も厳しくなっていく。
そんなことしてたら、お金持ちはどんどんいなくなっちゃうんだけどねー。

本当は、お金持ちに甘くして、ゆるゆるにすれば、世界中からどんどんお金持ちが集まって、結果的に皆が潤う、という感じなのだけど、、、

結果的に貧富の差がもっと激しくなったりと、難しいものだね。

でも、実際のことろ、世界中にいろんなタックスヘイブンがあるので、そちらを選ぶ人が増えるのも仕方ないことだよね。

・・・

ちなみに今回のセミナーは節税が目的ではないです。

税金をごまかすため、と思われがちだけど、決してそうではないの。

「節税のための海外逃避術」は昔からよく言われてる。本もたくさん出てるし。でも、今回のセミナーは、そんなのと全く視点が違う。

・・・

私はわりかし海外へ行くことが多いです。
年間20回くらい海外へ行くし、また、生涯飛行時間は既に3千時間を超えてる。

実際、日本には半年くらいしかいないのだから、日本に納税しないようにもできるのだけれど、、、

やはり日本が好きだから、
日本に納税したいね。

私個人が思うに、この世界一素晴らしい、「日本」という国を使用する、使用料としても、税金は惜しくないと思うの。

なので、私の場合は、この「日本という国で存在するためのフィー」として世界の中でこの場所(日本)を自ら選んで納税してる。

こういう考え方自体も、今日のセミナーの「キモ」なんだよね。

要は、世界を枠に、自分の好きな場所で好きな行動をとれるよう。自分で自分のフィールドを選んで動けるように。何にもどんな枠にもとらわれず、自分の人生を自分で選ぶ。それを徹底してやってる人こそが、今回のセミナーで言う真のPTなんだ。

まあ、とにかく、節税だなんだというレベルの低い話ではなく、もっと大きな視点で考えていこうよ。

みんな知ってる?みんなは、、、

自由なんだよ。

、、、というのが、結論のひとつなんだ。

そいえば、
ギネスブックに載ってるマーケッター、高藤さんも今日の講師してた。

写真は、ダイエットしてるはずなのに、なぜか下ぶくれしている顔パン先生こと、カピバラだよ。

でわー




2014年4月9日水曜日

空中浮遊 No.0565

空中浮遊なう。


2014年3月31日月曜日

師範 No.0564

顔パン先生ことまるもり、またサボってしまったよ。

少し前の話になるんだけどさ、海外のホテルでぐっすりお休みしていて、なんか、深夜に目が覚めたの。
で、「うーん、何時だろう」と思って携帯を取ったら、いきなり携帯が鳴りだした。


H先輩からの着信だった。


すぐに、ピンと来た。電話を取るなり、、、

「先輩、この時間に電話くれるということは、ひょっとして師範・・・」

私は開口一番、そう話しました。
H先輩は電話口で、泣いて言葉になりません。


そうか、師範、、、
逝ってしまわれたか。

私は、今海外です、お葬式に間に合わないかもしれないけど、帰国次第、ご焼香に伺います、と電話を切りました。


・・・


以前、一月の終わりだったかな、記事を書いたとき。


病院へお見舞いにいって、病室のベッドでお会いした師範は、高齢ということもあり、ずいぶんと痩せてしまわれてたけど、その大きな拳は昔のままだった。


ほとんど話すこともできない状態だったのに、私が「師範、ヤスユキですよ」というと、涙を流してくれていた。


・・・


ご焼香に伺い、ご家族の方々からいろんなお話を伺った。

あの後、私が病室を去った後も、ご家族の方が「ヒロタさんはご立派になられたね」と話しかけると、首をウンウンと少し動かして涙を流してた、と聞いた。


師範は、長女さんととても仲が良かったらしく、また、長女さんもずっと看病をしてたそうな。

師範の口癖は、「俺はお前の誕生日に死ぬから」というものだったらしい。

長女さんは私に話してくれます。

「父はね、いつもそう言ってて、お前の誕生日なら、お前の好きなものをお供えしてくれるだろう、忘れないだろう、って」


・・・


昔、戦国時代、最強といわれた武将の一人、「笹の才蔵」と呼ばれた、可児才蔵吉長という人がいた。一度の合戦で、20以上の首を取る、と言われた人。

その可児才蔵は、「自分愛宕権現の命日に死ぬ」と言い続け、実際、愛宕権現の縁日に、甲冑を付け、床几に腰を据えたまま息を引き取った、と言われてる。

・・・


享年88歳。
大往生と言っていいだろう。

師範がお亡くなりになったのは、
長女さんの、誕生日に
切り替わったすぐの、、、

0時20分だったらしい。


・・・


師範、頑張ったね、約束守ったんだね。

生き様、学ばせてもらいますね。

押忍。


・・・


大切な人が亡くなってしまう。
これは仕方のないこと。


死なない人間はいない。
そして、自分たちも、いずれ逝く。


今を生きてる自分たちにできることは、忘れないこと。
忘れなければ、自分の心の中で生きてるってことになるんじゃないかな。


・・・


葬式の会場は、多くの人でごった返していて、空手関係者も多かったと聞いた。師範の人徳がわかる。参列者の人たちは「師範、今度はあっちで空手やってるよ」と口を揃えていたらしい。


ひとつのことに賭ける人生は、きっと素晴らしいものだったに違いない。


師範、ご苦労様でした。
安らかに眠ってください。


追伸


この場を借りて、H先輩に感謝します。先輩のおかげで、ご存命中に師範とお会いできました。痩せてはいたけど昔と同じ大きな拳を握ったあの瞬間、あれは何ものにも代え難いものでした。ありがとう。押忍。




2014年3月27日木曜日

ある日の皮パン先生 No.0563

昔、もう十数年になるかな。当時はまだ従業員が私を含め数人で、年商もたいしたことはなかった。あの頃は、本当に朝から晩まで休みなく仕事をしていて・・・大晦日の除夜の鐘は仕事をしながら聞いたし、台風の日は私自身も徹夜でパトロールをしたりしていた。

そんなころ、事務所の近くに、ひとつの学習塾があったのです。

ある日、ウチの若い衆 – 今は私よりも組織にとって重要な存在、小林が事務所に帰るなり、こう言った。

「あの塾に、すごい美人の先生がいる!」

どうやら話を聞いてみると、その先生は、とても美人で、清楚ですらっとしていて、そして、、、

いつも皮のパンツをはいているらしい。

自然と、その先生は、
ウチの事務所内で、勝手に、、、

「皮パン先生」

と呼ばれるようになった。

・・・

あれから十数年が経ち、皮パン先生の塾の近くから事務所は移転し、違う地域の、大きな本社ビルに変わった。

あの頃の事務所がどうなっているかはよく知らない。

家賃15万円の賃貸事務所だったので、どこかが借りてるのだと思う。空き家になってるかもしれない。

まして、その塾のことなんて、全くわからない。

・・・

実は、私は、当時、その皮パン先生の姿を見たことがなかった。
若い衆たちが、

「今日も皮パン先生いたなあ」

とか、

「皮パン先生、やっぱりかわいいなあ」

などと言ってるのを横で聞くだけで、
ただの一度もその目で見たことはなかった。

しかし、見てない分、想像は膨らんだ。

皮パンが好きということは、足はスラリとしてるんだろうな。腰の位置も高く、多分、お尻も上がって、背筋は反り返った感じで、云々。

きれいな感じの人なのだろう、
と想像するとともに、、、

初期の「しゃにむに頑張っていた頃の自分たち」と重ね合わせ、何となくノスタルジックな気分に浸っていた。

「皮パン先生」という言葉は、単なる女性のことではなく・・・

脇目も振らず、一生懸命働いていた、ある意味最も幸せな時期、前だけを向いて、がむしゃらに希望に燃えていた、、、

そんな時期のシンボルであったりしたんだ。

・・・

あれからずいぶん、いろんなことが変わった。

当時と比べ、なんか偉そうぶってふんぞり返っている今、あの頃のことを懐かしく思ったりもする。

食事を取る時間も惜しんで仕事していたあの頃と違って、

私は、まるまるもりもり食べて、まるもりと呼ばれ、

顔はパンパンにふくれあがり、古くからの仲間、あのころの「皮パン先生」を知っている仲間たちからは、、、

「顔パン先生」

と呼ばれている。

なんちゅうか、まあ、深い意味は全くありません。