2019年6月28日金曜日

髪型 No.0919

床屋さんで寝て起きたら、野菜みたいなあたまにされていました。

本来ならば前回の続きを書かなければいけない立場ではございますが、その前に、法曹界に身を置く人間として、東京地裁において、自らの頭髪の良し悪しを法に照らして参ります。


しばらくの間、身を隠す可能性も否定できません。


どうか皆さま、お元気で健やかに過ごされますよう。


親愛なる皆さまへ

野菜あたまより

2019年6月20日木曜日

体罰 No.0918

子供を体罰(というか虐待)で死なせる親が増えてるようだね。だから、体罰禁止という法令ができるらしい。

しつけで体罰をするのがいいとは思わないけれど、なんか違和感あるね。


・・・


私は体罰で育った。


本当に実話なんだけど、マンガみたいに木に吊るされたりしたし、木刀で殴られるのは、ほぼ毎朝(私が起きてこないから)。ストーブの上の焼けたヤカンで殴られたり、ナタで追い回されたりした。


でもまあ当時はみんな、どの家庭でもそんな感じだったんじゃないかな(違ったらごめん)。


思い直しても、悪いのは全て自分だったからねえ。


・・・


体罰が良かったかどうかは知らない。役に立ったのは格闘技するときくらいかな。打たれ強くなったし。


でもまあ、おかげでこんな大人になってしまったよ。やっぱいいか悪いかわからんな。


・・・


だいたい、殺したやつらとウチのオヤジとの違いは、本人のためにやってるかどうか?なんだけどね。


一概に体罰がいい悪いではないんだけどなあ。まあ仕方ないのかなあ。


・・・


また、こういう子供の虐待死の事件を聞くと、よく児童相談所の話が出てくる。


子供からのSOSを親に渡したとか、相談来てたのに何もしなかったとかね。


いやまあ、児相にもいろいろ言い分はあるだろうけどさ、アカンやん。


これが民間なら(子供を守ることを生業とする業者なら)一回事故があったら終わりだよ。


潰れるって。


・・・


児相の人たちも一生懸命やっているだろうけど、民間と公務員では、やはりどこか違う気がしてならない。


いじめを隠蔽する教育委員会も同じだよ。なんで責任追求されないの?と思ったりするよ。


俺たち民間なら間違いなく潰れるんだからさ。


・・・


もし、セコムやアルソックが、通報受けて、無視して、そのせいで誰か殺されてみ?会社がどうなるか誰でも予想できるよね。


私は、児相や教育委員会も、解散するべきだと思う。


・・・


こういった物事は、解決策は一つしかない。


体罰禁止じゃ絶対減らない。ご飯を与えなかったり、凍えさせたり、他の方法をとるよ。


だいたい、子供を殺す奴なんて、あれは人間じゃないんだから。


少し長くなるけど、子殺しが如何に異常なものか、少し話してみたい。


長くなるので続けさせていただくね。

2019年6月13日木曜日

人生の目的 No.0917

私の座右の銘は二つ。「何でもコヤシ」そしてもう一つは「与えるものは王者なり」。

この言葉は、畠中平八さんという、小説「相場師」のモデルになった方の、座右の銘だった。株の世界で神様のような存在。


畠中さんがお亡くなりになって、もう四年ほどになるかしら。


・・・


たまたま、私は35年ほど前に、この畠中さんとお会いしたことがあるの。


当時若かった私に、畠中さんはいろんなお話をしてくれた。


精強で知られる土佐四十四連隊(死屍連隊と呼ばれた)という、二度も全滅した部隊の、たった二人のうちの生き残り。


並みの運ではない。


開戦と同時にフィリピンに入り、終戦までいた。戦争の話をいろいろしてくださったのだけど、


一番心に残ったのは、戦争で行った地域に、戦後、自費で学校を建てたことだった。


・・・


若い私は思った。


いつか、自分がお金持ちになったら、貧しい地域に学校を建てよう。そんな人間になりたいなあ。


その頃の私はキックボクサーで、当たり前に貧乏だった。スポンサーが付いていてくれたので、働かなくても多少の生活はできたけれど、所詮「金持ちになったら」という、現実味のない夢ではあった。


・・・


20年ほど経って、私は多少なり、ある程度のお金を持つようになった。


で、平先生に話した。


「先生、学校を建てましょう」


・・・


平先生は快諾してくれて、セミナーを開いて資金を募り、第1校目を仲間たちと建てた。


マーケッターの仲間たちだった。


瀬川さん、加藤さん、森下さん、小暮さん、山口さん、中村さん、伊勢さんなど、多くの人が一緒にカンボジアに渡った。


のちに紳助さんがテレビで有名にしたけれど、当時、まだ誰もカンボジアには注目していなかった頃だった。


・・・


それから、あれやこれと10校くらい建てただろうか?留学生の支援を行い、日本に受け入れたりもした。


もうずっと行ってないけど、カンボジアはどんどん復興し、ずいぶん豊かになったように思う。


プノンペン市内の小学校は、すでに行き渡ったとも聞いた。


・・・


さて、そんな中、たまたま6/月13日のTVアンビリーバボーを見たんだ。


地雷撤去の必要性を感じ、カンボジアに骨を埋めようとしている元自衛隊員さんのお話。


見てて、涙が出たよ。


あれが、本当の支援だ。


・・・


見た人いるかな?すごいよね。よくあれだけできる。


ああいう人たちが、カンボジアの復興に寄与し、そして、あと10年もすれば国自体が変わってくるだろう。


素晴らしいよ。


・・・


「与えるものこそ王者なり」


私は与えてるかなあ?今も周りに与え続けているかなあ?


もし自分が理想としての王者という意味のものを目指すなら、やるべきことをやれているのだろうか?


・・・


私が寄付したから偉いとか、ええカッコしようとしてるから価値がないとかあるとか、そんなことはどうでもいい。


ジャッジは自分だったよね。 


私たちは、生涯をかけて、「自分のなりたい自分」を追求していくだけのことだよ。


自分のなりたい自分を目指す。


それが、人生の目的だと思う。


・・・


たまに振り返ってみよう。


私は、自分のなりたい自分に、近づいているのだろうか?そしてその努力を今も続けているだろうか?


私は、、、
ちゃんと戦えているのだろうか?


自分のやるべき命題に。


・・・


まあ、そんなことを改めて思ったよ。アンビリーバボーを見て。


まあ、たまにはテレビもいいもんだね。


・・・


写真はプノンペンの学校だよ。
校名は「心に太陽を」。もう、12年になるんだね。


一緒に行ったみんな、楽しかったね。誰かがインタビューでこう答えてたね、瀬川さんだっけか?


「子供達の笑顔を見た。本当にプレゼントをもらったのは、、、

私たちの方でした」



2019年6月12日水曜日

サワジリさん No.0916

うちの社長連中は各ジャンルで日本記録保持者が多い。ある意味、異能の持ち主たちである。そんな彼らが支えてくれるからこそ、今の私がある。

その中に「沢尻」という社長がいる。本名は違う名前だが、サワジリさん、と呼ばれている。今日はその話をしよう。


ちなみに、沢尻エリカ様とは全く関係ない。


・・・


なぜサワジリなのか?


カンタンだ。
答えを言おう。


お店で、おねいたまのお尻を触るからに他ならない。


なので、触る尻、触尻(サワジリ)なのだ。よって、沢尻社長と呼ばれている。ちなみにそれがウチの誰なのか?は秘密である。


それだけ。

おしまい。


・・・


追伸

先日、彼はサワジリから「さわ乳」と進化していた。これまた、それだけ。


追伸2

これまたどーでもいい話なのだが、私の敬愛する、仮名S川会長は、半径1メートル以内のおねいたまにサワジリやさわ乳をする。右も左も上も下も関係ない。


その姿は「あたかも千手観音のようであった」と下々の者共は口にする。


神仏の領域に達されたようだ。

*写真と本文は全く関係ありません。

2019年6月11日火曜日

ワニの絵 No.0915

たまに、個展やギャラリーに足を運ぶことがある。

先日、たまたま京都を歩いていたら、可愛いワニの絵が目に入った。


「おい、ふなちん、あのワニ可愛いやん。ちょっと見ていこうぜ」




「はい、わかりました」 


ということで、そのギャラリーに入って、いろいろ話し込んだ。


・・・


ええ、はい、あのワニが気に入りまして。可愛いですよね、このワニ。はい、東京から来ました。いや、もともと生まれは関西なんです、せやから関西弁で〜


とあれこれ話して、買うことにした。


「このワニの絵、いただいていきます」


・・・


小さな原画。


手のひらよりすこし大きいくらい。


値段は忘れた。数万円だったかしら。


・・・


フナ、なんか子供の絵みたいやけど、何気に可愛いのう、このワニ。どこに飾ろうかのう。でも、ワニの絵って珍しい気もするな、なんでワニなんやろうなあ〜
んで、家に帰って、裏を見たら、、、

「イヌ」と書いてあった。


それだけ。

2019年6月10日月曜日

安楽死について No.0914

安楽死についてのマンガを読んだよ。「デスハラ」。このマンガ自体は素晴らしいもので、涙ながらに見た。

できれば、この記事を読む前に、先に下のリンクからマンガをお読みになり、その後記事を読んでいただけると幸いです。

要約するとこんな感じ。


安楽死が認められる

最初は余命半年まで

いずれエスカレートして、18歳以上なら誰でも

そのうち高齢者はみんな自死を選ぶのが普通になる

選ばない高齢者に、デスハラが始まる

私はもう死んだ方が良いのかしら?そんな風潮が蔓延する
というもの。

泣ける。


・・・


気をつけなければいけないことだと思う。怖いね。姥捨山の再来だよ。


一点だけ、残念なことがあるの。


「だから、安楽死を認めちゃいけない」


ではないでしょ、と言いたい。


・・・


物事というのは常に表裏一体。


何かを得るためには、リスクはつきものになる。


大切なことは、「リスクがあるからやめよう」じゃない。


「リスクがあるから気をつけよう」なんだ。


・・・


例えば、こういうことだよ。


もともと包丁がない世界があったとする。そこに包丁を持ち込んだとしよう。


とても便利。今までは材料を引きちぎって料理していたところ、簡単に切れるようになるんだ。


これがメリット。


でも、包丁を使って、人を殺す者が出てくるかもしれない。事実、本当に僅かではあるが、存在する。


・・・


さて、ここ、悪いのはどれ?直すべきはなあに?


悪いのは包丁?それとも、悪用する人間?


無くすべきは、包丁?
それとも、悪行?


・・・


さて、「包丁で人を殺す人間が出てくるから、包丁を無くそう」となるかい?


安楽死を認めたら、死ぬ必要のない人間がバタバタ殺されると思う?お前も早く死ねよ、って親に言うと思う?


・・・


罪のない、また、自分から死にたいと思っていない高齢者に、死を進めるとしたら、その原因は安楽死か?


それとも、周りの人間の身勝手で恩知らずな心なのか?


どっちかな?


・・・


もちろん、姥捨山にならないよう、安楽死を導入するならば、「絶対に死を促進させない法整備」が必要だよ。


包丁があるからって人を殺しちゃいけないんだ。問題は包丁じゃない。人を殺す行為だよ。


問題は安楽死じゃない。


・・・


もうひとつ、付け加えたい。


何かの道具があったとして、かつ、それを使う人間がいるとして。


悪いことに使う奴は、本当に少ない。


人は、そんなに悪くない。誰かの不幸を願う者なんて、そんなにいない。


人は、基本、善なんだ。


・・・


例えば、街を歩いてる全然知らない人の笑顔を見て、嬉しくなるのが人間だよ。人の不幸を願う奴なんて、そんなにいないんだよ。


基本的に、人間という生き物は、他の人間の幸せを望みさえすれ、不幸を望む奴なんて存在しないって。


でも、たまに、いる。


幸せそうな家族とすれ違って、「この野郎、幸せそうな顔しやがって。包丁で殺してやろうか」と思う奴。


実際に存在する。


不良品。


しかし、少なくとも私の知っている者の中にはそんな奴はいない。人間が1万人いて、一人いるか?


無差別殺人犯って、日本中に何人いる?一億二千万の中に数人か?数十人か?


数十人/一億二千万人


の、ごく稀な不良品のために、包丁を無くすのか?


・・・


ペットの場合で考えてみよう。犬を安楽死させたところで、罪にはならない。しかも、犬は文句を言わない。


で、年老いたペットはバタバタ殺されてるのか?


「もうこいつ吠えないし、使えないから安楽死させよーぜ」なんて、そんな飼い主、見たことある?


ほとんどの飼い主は、そのペットが死ぬのを、我が身が引き裂かれるように悲しんでるってさ。


これが「対人間」になると、急に気楽に殺しだすとでも?


・・・


よく、極論を言う人がいる。


それにより、物事が進まないことがある。


マイノリティの、イレギュラーな行為のために、なぜ残りの99%が不利益を被らなければならないのか?


そこを考えて欲しい。


・・・


総則。


マンガを悪くいうつもりはない。


しかし、揶揄されるべきは、安楽死ではない。


安楽死が認められたからって、誰がそれまで世話してくれた恩人を意味なく死なせるかよ。


それまでこの日本を支えて、今の繁栄をもたらした、高齢者に対する敬意を忘れるわけねーじゃん。


それが普通の人間だよ。


包丁ではなく、それを悪用する行為を憎むべき。そして、悪用できないようにするだけなんだよ。事実、この世の中は、包丁で殺しあう人間ばかりになってはいないのだから。


・・・


私はおばあちゃん子だった。


お年寄りは大好き。


そして、自分が「良い年寄り」のままで死にたいためだけに、安楽死の法整備を望む。


・・・


このマンガを貼るべきかどうか迷った。全く知らない他人さまを批判するつもりはない。


しかし、私の言うことが正しいか?を問いたい気持ちがある。


・・・


私は、人間の善意を信じる。


そして、この世は、今までこの繁栄を作ってくれた先人に対する恩を忘れない人たちで埋め尽くされていることを信じる。


このマンガは、安楽死を危険なものとして導くのではなく、安楽死の悪用に警鐘を鳴らすためにあるものとして、シェアさせていただきたい。


・・・


最後に、今のこの平和で安心で、命の心配なく、飢え死にせずに暮らせるこの日本を作ってきてくれた、先人の方々に、心より感謝申し上げます。


あなた方のおかげで、私たちは世界で稀に見る幸せな国で生かされております。誰があなた方への感謝、恩を忘れるでしょうか。


私を産み、そして育ててくれた、大切な、今は亡き父、そして母のためにも。


心より先人の幸せな老後を願います。


・・・


P.S.シェアしてくださる方、ありがとうございます。そのままシェアですと、漫画のみになるようです。どうすればよいか?はよくわかりません、すみません。

2019年6月8日土曜日

人口減の問題 No,0913

日本の人口が、40万人減った、という記事を見た。自然減。戦争があったわけでも、震災があったわけでもない。

平均出生率は1.43だって。

ホント、この国、終わっちゃうよね。


・・・


私の思う、日本にとっての最優先課題は、国防と、そしてこの人口減だよ。


ほぼほぼ、もうすでに間に合わないところまで来てる気がする。


・・・


政治家が「子供三人産めよ」というと「子供ができない人がかわいそう」なんてマスコミが騒ぐ。


こいつら、国を潰したいんだな、と思いながら見てるよ。


事実だろーがよ。


子供ができない人のためにも、三人産まなきゃいけないよ。


・・・


ぶっちゃけ、こういうことを言うとひんしゅく買うけど、出生率を上げるためには、既婚、未婚に関わらず、出産を奨励すべきだと思う。


いくつか、案はある。


まず、夫婦別姓。私は是認派。


夫婦別姓になれば、シングルマザーによる苗字の差別は少なくなる。


そして、シングルマザーに、出産奨励金を出すべきだ。(ひろゆきさんも言ってた)


もちろん、既婚者にも、出す。


日本人を産んでくれたこと自体が、国の英雄なんだから。


・・・


子供一人当たり一千万とか出せばいい。三人目からはさらに増やす。言わば、歩合だよ。


出産手当金目当てで産んだらどうする?いいじゃんそれでも。メリットあるよ。増えるんだもん。


ちゃんと育てられなければ?国で育てたらいいんだよ。


孤児院で、むしろ英才教育して、「あの子は孤児院出てるから優秀なんだ」みたいな風潮になればいい。


・・・


財源は?医療費だよ。


これから高齢になる本人として言う。自分も関わることだから許されるだろう。


延命治療をやめる。意識がない人間を生かしても仕方がない。また、安楽死も認める。


これだけでかなりの削減を狙える。


・・・


そして、高齢者の保険料負担を増やす。実際のところ、することのない老人には、病院はサロン化してる。


「今日は◯さん来ないのう。病気でもしたの?」


という言葉を、待合室で聞いたことがあるよ。


莫大な薬代がかかる病院サロンではなく、代わりにそれこそ地域にサロンを作り、そこで遊んでもらおうよ。


もちろん、キチンとした病気には対応すべきだよ。


・・・


この国の予算の半分を食いつぶす医療費に文字通りメスを入れれば、簡単に財源なんて出る。


家庭で給料の半分を病院代に使ってみ?苦しいに決まってんじゃん。


GDPのせめて三割まで削減を狙う。それでも生活費に照らしたら家賃レベルだよ。


・・・


勝手なこと言いやがって、と思われるだろうけど、こうでもしなきゃ、この国、潰れちゃうんだもん。背に腹変えられないってさ。


真の緊急事態であることを、みんなもっと理解すべきだよ。


・・・


シングルマザー?私生児?差別されたりもしたでしょう。嫌な思いもしたでしょう。そのお母さん達に、言いたい。


本当にありがとう。


苦労をかえりみず、この国のために産んでくれたんだ。それに感謝するのが当たり前だよ。


育てるのも、世間の目も。大変な苦労だよ。自分の人生を引き換えにして育ててきたんだ。


その功労者、国の英雄を、賞賛こそすれ、差別するなんて、そちらがむしろ犯罪だと思う。


・・・


子供が二人以上増えた家庭は、または産んだ人は、税金などを安くしても良いと思う。


国にとっての、真の財産は、国民なんだからさ。


・・・


また、寄付も奨励する。


この国は寄付のできない国。どれだけ寄付しても、あまり控除されない。だから、誰も寄付しない。


それが、ふるさと納税制度のように「自分が得する」なら、こぞって行う。見苦しいが、事実。


だから、人口増に寄与する先は所得の控除の対象にする。


・・・


高額納税者も、本来いろんな寄付をしたい。でも、寄付しても、その分さらに取られる。


控除の対象になるのは、ほぼ意味のない官公庁。無駄遣いされて終わり。だからやんない。


もし、「人口増」に関わることにする寄付を、所得控除の対象にしたら、山ほど集まる。


みんな、本当は「意味のあること」に使いたいのだから。


・・・


とにかく、一番大切なポイントは「子供を産んで育ててくれた人への感謝」だよ。


シングルマザーがどれだけ大変か?子供たくさんの家庭がどれだけ大変か?子供を産むことに、金銭的問題から断念する人がいかに多いか?


これを社会が認めて、感謝の対象にすることだよ。繰り返すけど、国の英雄なんだから。


子供が増えたら、日本人全員が、その恩恵を受けるんだもん。


・・・


これは、投資なんだ。


国民全員が、この国の未来のために「投資」するんだよ。


・・・


本来なら、このことをマスコミがリードして、国民の意識を変えていかなくちゃならない。


そうすれば、この国は変わるかもしれない。


でも、これも無理だろう。


マスコミはまるで国を弱体化させることが目的のように、ちょっとした言葉の揚げ足取りに躍起になり、国民はそのマスコミを後押しする。 


結局、ツケは自分たちに返ってくるにもかかわらず。


・・・


残念でならない。


「もし人口が八千人を切るなら、この国はもうダメだ、諦めて他の国へ行け」と若い子らに伝えなきゃなんない時がくるよ。


その言葉が若い子らへの遺言にならないことを願うよ。


・・・


人口減。


この問題について、実はもっとキワドい解決案もないではないけど、マジひんしゅくモノなので、やめときます。


あ、もちろん重婚とかじゃないよ。


なんか最近文句ばっかり言ってる気がするね。お粗末さま。


・・・


写真には大した意味はないよ。中洲で遊んでるだけだよ。


ウチの、若い子らに、上で書いた遺言を伝えなくて済むよう願いたい。

2019年6月6日木曜日

日本の教育 No.0912

時間があるのでホテルでネット見てた。嫌な事件が多い。川崎で、引きこもりのカスが尊い命を道連れにしやがった。

「一人で死ねや!」という意見に、「そんなこと言ったらまた増える」とかいう馬鹿も出た。

アホウ、一人で死ねや。


・・・


まして、「人殺しなど不良品」扱いした松っちゃんに「人間に不良品はない」とか言う馬鹿もいる。


ホンマにアホらしい。


・・・


そんなもん、人の命、しかも何も悪いことしてない、全く関係ない第三者を殺すやつなんぞ、間違いなく不良品でカスで、生きている価値も何もねーよ。


死んで当たり前のカス、しかもチソカス以下やわ。


なんでそんな奴を庇ったりする必要があるんや?知識人とか言うカス連中が甘やかすからダメなんじゃねーのか?と思う。


・・・


かてて加えて、今度は「息子が同じこと(子供に手をかけたり)しそう」という理由で引きこもり息子を殺した親の話があった。


「殺しても解決にはならん云々〜」


なんの痛みもない周りが理想論、机上の空論をいろいろ言う。


でもな、子供を殺さざるを得ない親の気持ちわかんねーだろうよ。


自分も死ぬつもりでやってるよ。


たぶん「俺も川崎みたいに子供達を殺して〜」くらいのことはかなり真剣に言ったんだろうよ。


じゃなきゃ、自分の子供なんて殺せねえよ。


どんな気持ちで殺めたと思う?


・・・


引きこもりが社会からはじき出されるから、あまりおおっぴらに騒ぐな、と言う意見もある。


引きこもり?カンケーねーよ。


大量殺人犯と、その事件を模倣しようとした、殺人予告者(仮定の話だけど)なんだよ。


・・・


本人は悪くない、社会が悪いとか、意味のない意見も聞く。


アホウ、一体何人の人間が「人を殺さず」生きてるってんだよ。


社会が悪けりゃ、みんなで殺し合いになってるよ。


・・・


とまあ、なんか腹立ち紛れにあれこれ愚痴ってしまった。


知識人とかいうバカ、マイノリティの意見をいかにも多数意見のように持ち出す連中にすごく嫌気がさすよね。


・・・


解決策なんて、ほぼ一つしかないよ。解決にならんかも知らんけど、少しはマシになる。国民の道徳教育だよ。


日本には宗教がない。


なので、生きていく規範というものが存在しない。


昔は、先生や親がスパルタで「人の道」を説いた。寺子屋の頃は生き方自体を問うた。


今は、先生も親も、「何が正しいのか」わからない。教育自体、されてないから。


戦後の日本弱体化作戦が功を奏してるだけだよね。


・・・


今回みたいなキチガイは、どんな時代でもある程度存在した。しかし、その予備軍が、今はとても多い気がする。


「人としてどうあるべきか」を学校や家で教えなければならない。


もし、武士道を日本人の生き方の規範として学校で教えるなら、2〜30年でこの国は変わるだろう。(国の教育、モラルは、変わるのに30年かかる)


日教組があるかぎりダメだろうな。


・・・


言い返してみれば、日本の社会に原因があるというより、道徳教育の存在しない、日本の教育自体がこの事件を生んだと言っていい。 


・・・


余談だけど、ネットで読んだ。


親に殺された引きこもり息子は、ゲーム内でこう投稿していたらしい。


「何が産んでくれた?勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ私は」


お前の望み通り、オヤジはちゃんと責任持った、ということか。


・・・


なんとも悲しい事件。


これをきっかけに、変わらなければいけないのは、日本の「教育」に他ならない。無理だろうけどね。


今日は言いっ放しだよー。博多の友人と飲んでくるよー

2019年6月3日月曜日

ジュクの帝王 No.0911

孤独死の話で思い出したんだけど、加納貢という人がいた。

アウトローの話なので、嫌いな人は読まないでね。

戦後の新宿で「ジュクの帝王」と呼ばれた人。


・・・


戦後の闇市、無法地帯の中、盗みを働く連中、ヤクザや愚連隊、不良米兵にいじめられいる人など、弱い人が困っていると、どこからともなく現れ、助ける。


しかも、ほとんどワンパンチ。無類の喧嘩強さを誇った。ステゴロ最強と名高い。


噂レベルだけど、ボクシングの元チャンピオン(外人なのかなあ)を一発でノシたとか、枚挙にいとまがない。


戦後の混乱時の中、市民の安全を守った。


・・・


カテゴリーとしては巷でいう、愚連隊に他ならないのだが、


ここで特筆すべきは、「加納のミッちゃん」と市民から愛されたこの人は、生涯、一度も、、、


暴力を金に変えたことがない、と言われてる。


・・・


実家が今の初台あたりの大地主で、裕福だったこともあるが、誰かを助けたからといって、一度もお金をせびったことはなかった。 


また、自分を慕う若い衆にも「霞を食って生きろ」と言っていたという。


言わば、彼の暴力は、、、
「正義の暴力」と言っていい。


・・・


そして、時が経ち、日本は平和になった。


戦後の混乱は遠く過ぎ去り、市民のボディガードも必要ない時代になった。


食べるためにヤクザになる愚連隊が多い中、加納のミッちゃんは、自らの資産を食いつぶしながら、己の理想を守り続けた。


・・・


2004年。


誰からも愛された「ジュクの帝王」は、定宿にしていた新宿のある高級ホテルで、ひとり、息を引き取った。


まるで眠っているようだったらしい。


・・・


孤独死。


これ、孤独かな?みじめかな?


いや、、、
俺は、カッコいいと思う。


・・・


写真は加納のミッちゃんご本人若い頃。色白で甘いマスク。画像は拾い物なので、まずければ教えてね。的場浩司さん主演の映画「ジュクのツラ」もあるよ。

2019年6月1日土曜日

孤独死 No.0910

老人ホームで孤独死だってさ。なんの事かよくわからないんだけど、最近、孤独死の話をよく聞く。そこで、前回の記事のBさんから伺ったお話を、少しシェアするね。

「孤独死なんて、無いよ」

ってお話。


・・・


主題からは余談になるけど、Bさんはこうおっしゃる。


「日本は、安楽死を認めるべきだ」


私も心より賛同させていただきます。


・・・


私も、自分の死は自分で選びたい。それが生き物としての最後の権利。


死ぬのは誰でも怖いさ。


しかし、最も怖いのは、死ぬことじゃない。


自死。そのことを選べない自分になること。自分が自分で無くなること。


その方が死ぬよりずっとつらい。


・・・


だから、私は、アルツハイマー等になって自分がわからなくなるくらいなら、安楽死を選びたい。苦しいの嫌だしね。


しかし、今の日本では、それは叶わない。


だから、私は身内に強く言明する。


「俺がアルツ等になって、自分がわからない人間になったら、社員、身内に関わらず、必ず誰にも見に来させるな。施設で死なせろ」


そして、、、

死んでから見に来い、と。


・・・


秘書のフナにも、しっかりと頼んである。


実行されるかは知らん。何にしても、自分はタタミの上で死んではならない人間だと思ってる。


アルツ後の面倒など、見て欲しくもない。


・・・


Bさんも、安楽死を望む方。


で、さらにBさんは、


「ヒロタくん、この問題がどこにあるか、わかりますか?


安楽死が良いか悪いかではないよ。この国は、その議論自体がなされないようになってる。


それが問題なんだ」


・・・


なるほど、仰る通りだな、と。最近流行りの大麻事件なんかも同じだよね。


大麻なんてガン細胞を減らすらしいもんね。でも、大麻と口にしただけで薬物中毒扱い。


自分の命を守るために、自宅栽培してた人が捕まった。彼は生存の権利を訴えた。多分裁判は勝っただろう。


法曹界では「国が負ける、生存の権利の方がずっと強い。大麻取締法は変わるぞ」と色めきたった。


しかし、その本人が公判中に死んだ。その後、話は消えてしまった。


そして、良いか悪いか?自体は今も論じられてない。


・・・


主題に戻そう。


「孤独死」。


孤独死は嫌だねえ。なんか、寂しい響きだね。みじめだね。怖いねえ。そんな感じをかもし出す言葉だねえ。


さて、そこで冒頭の言葉に戻るよ。


「孤独死なんて、存在しないよ」


とBさんは語る。


「死ぬときなんて、誰でも一人なんだから」


・・・


ああ、そうか。


孤独死なんて、恐れる必要なんてない。


誰でも死ぬときゃひとりなんだから。


そしてもし、それを避けようと思うなら集団自殺しなきゃなんない。それでも、同じ時間に息をひきとるわけじゃない。また、そうだったとしても、なんの意味もない。


孤独死なんて、むしろ当たり前の話。孤独以外に、一体どんな死に方がある?


・・・


孤独死を、死後の放置された遺体の、処理の問題とするのなら、心臓に発信機でもつけて、止まったら誰かに連絡が行くようにすればいい。


そんなビジネスもそのうち生まれるかもね。


・・・


Bさんが言われたいことは、、、


いかにも恐ろしい「孤独死」という言葉は、


煽るためにマスコミに作られただけのハッタリの言葉であって、


そういう問題があるのなら、真っ向から皆が考え、議論し、本質を追求すべきであり、


マスコミやいろんな「我々を操作しようとする」ものに踊らされちゃいけないよ、ってことなんだ。 


・・・


本質を見るのは難しいことじゃない。


簡単だよ。


自分たちの頭で考えればいい。


そして、タブー化せずに、議論する。それだけなんだよ、と。


・・・


死ぬときは、みな孤独。


取り立てて騒ぐことですらない。そして、その人生を、寂しいとか、かわいそうと他人から言われる必要もない。


ここで、前回の記事の「ジャッジメント」のテーマに戻る。


それ、決めるのは、、、

自分だけなのだから。


・・・


もう一度言うね。


幸せかどうか?人生の勝ち負けがどうか?孤独死が辛いものかどうか?全て、


ジャッジするのは自分自身。


他人がどう思うか?世間の常識がどうか?は、判定に影響しないんだ。


・・・


写真は、新美術館のベンチだよ。気持ちよかったからゴロリと寝てたら、係りのおねいたま(私より年上)に叱られたよ。


孤独死してると思われたのか?それとも浮浪者と間違われたからか?それは知らないよ!おねいたま、怖かったよ!