2022年6月1日水曜日

ペリリュー島 NO.1253

 【ペリリュー島】

 
パラオは19世紀後半
 
スパインとドイツに支配されていました
 
白人の統治時代には
賃金なしで倒れるまで働かされ
 
倒れれば鞭打ちの罰を与えられる日々
 
暴動を起こせば皆の前で銃殺され
 
公園の木に吊るされ
見せ物にされました
 
奴隷のように搾取虐殺され
 
パラオの人口は
 
たった半世紀で
90%も減少しました
 
しかしドイツが
第一次世界大戦で敗れたため
 
講和条約で日本が
パラオを統治することになりました
 
しかし日本の統治時代は
 
白人のそれとは全く違っていて
 
日本はパラオに学校を作り
 
病院 道路 水道 電気など
 
様々なインフラ整備を行いました
 
さらにパラオの人々に対し
 
医療 教育の支援を行い
 
日本人日本人とパラオ人は
共に暮らしていました
 
またパラオを統治した日本軍は
 
『ペリリュー島』
に陣地をつくりました
 
ペリリュー島の島民たちは
日本兵と仲良くなり
 
日本の歌を一緒に
歌ったりしていたそうです
 
しかし1944年になると
 
戦況は日本に不利となり
 
いつ米軍が上陸しても
おかしくない状態になりました
 
島民たちは日本を尊敬し
感謝していました
 
だから日本軍と一緒に
戦う決意でした
 
島民の代表数名は
 
日本の指揮所を訪れました
 
守備隊長であった中川州男に
  
『自分たちも一緒に
戦わせて欲しい』
 
確固たる意志を伝えました
 
しばしの沈黙の後
隊長は突然叫びました
 
『帝国軍人が貴様ら土人と
一緒に戦えるか』
 
島民は自らの耳を疑いました
 
日本人は仲間だと思っていたのに…
 
指揮所を出てからの帰り道
 
島民は裏切られた想いで
皆悔し涙を流しました
 
島民たちが船に乗って疎開する日
 
日本兵は誰1人見送りに来てません
 
島民たちは重い足取りで
船に乗り込みました
 
しかし船が島を離れた瞬間
 
日本兵全員が
浜に走り出てきたのです
 
そしてかつて一緒に歌った
日本の歌を歌いながら
 
手を振って彼らを見送ったのです
 
戦闘には笑顔で手を振る
あの隊長がいました
 
その瞬間島民たちは悟りました
 
あの隊長の言葉は
 
自分たちの命を
救うためのものだったと
 
その結果日本兵は全滅しましたが
 
現地民には戦死者が
1人も出なかったのです
 
終戦後の1947年
 
島に戻った島民は
 
多くの日本兵の
亡骸を見て涙しました
 
彼らは島中に散らばる
日本兵の遺体を
 
ひとつひとつきれいに片付け
 
埋葬してくれました
 
パラオの国旗は独立した際に
 
国民からの公募で制定されました
 
日の丸がモデルと言われ
 
太陽に照らされた満月は
 
わざと中心を外して
デザインされており
 
これは日本に対する
礼儀からと言われています
 
当時の駐日パラオ大使の
ミノル・ウエキさんの言葉
 
『日本軍はペリリュー島民を
全員疎開させることで』
 
『保護してくれた』
 
『だから島民に
死傷者は出なかった』
 
『日本軍への感謝は
何年たっても忘れない』
 
〜伊藤直美さんリアルスピリチュアルより



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