2016年5月8日日曜日

拝む功徳に差別無し



一ヶ月もさぼっちゃったよ。飽き症でダメだなあ。コメントくださった方への返信が遅れたよ。ごめんなさいね。
 
熊本地震があったしばらく後、あるお寺の前を通ったらさ、そこに、「澄んだ心も佞心(よこしまな心)も、拝む功徳に差別無し」と書いてあった。おお、なかなかやるな、ここの坊主って感じ。
 
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人は、お参りしたり神頼みするときに、完璧に純粋な心でお祈りしなきゃならない、と思いがちだよね。よこしまな心を持ってお祈りしたりすると、むしろ罰が当たるみたいな。
 
たとえばさ、友人が病気になったとする。神頼みして「あいつの病気を治してください」と願いながら、「ひょっとして、これは純粋に願っているのではなく、それによって自分が助かるから、つまり自分の損得のために祈ってるんじゃないか?」という考えが頭をよぎることって、人間なら誰でもあるんじゃないかな。
 
人間の脳は、ものすごい容量と速度のスーパーコンピューターだから、純粋な心と同時に、ずるい心も持ってるし、少なくとも頭をよぎれるんだ。だから、「自分はずるいのじゃないかしら」と心配する人って、多いはずなんだ。
    
上の言葉は「そんなの、関係ないよ、拝むことによって得られる功徳は同じだから、余計なこと考えないで、拝みなさい」という教えなんだね。
 
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熊本地震があった。寄付やボランティアをする人がたくさんいる。売名だ、偽善だ、いやらしいと批判する人もいる。
 
売名で結構、偽善上等。送るお金に色はない。
澄んだ心も佞心も、ともに功徳に差別はない。
 
マスコミ報道のほとぼりが冷めてきた今も、現地はまだまだ大変。私も、ウチのグループも、偽善行為をするよ。
 
だってさ、、、
 
私は、人様の不幸につけ込んでお金を送り、
コイツいいやつかしら?と思わせ、
また、自慢や自己満足をするために、
こんなときこそ銭使ったれ!と
下心丸出しで考える、
イヤらしい成金デブなんだからね!
 
こんなときを見逃すわけにはいかないよ!
 
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震災からしばらく経ちましたが、未だに地震が続いています。被災された方々の心労はいかほどのものであろうかと、心よりお見舞い申し上げます。また、自衛隊やボランティアの方々、あなた方の行動は、まさに光です。本当に、ご苦労さまです。

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写真は、数年前に熊本にお伺いしたときのものだよ。あのときは誰も今のことを想像だにしなかった。熊本の人たち、どうか、頑張ってください。

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