2012年8月1日水曜日

25年前のルンピニーにて



大きな興行があって、ムエタイを見に、
ルンピニー(タイで1、2にメインのスタジアム)というスタジアムへ来ました。
昔、私が初めて海外旅行したのも、このタイ。


25年前の、、、ちょうど今と全く同じ時期です。


ムエタイのジムに行きたくて、
同じジムのK先輩と一緒に、
一生懸命お金を貯めての初海外でした。


あの頃、夏で雨期ということもあり、
雨が降るとルンピニースタジアムの前のラマ4世通りは、
雨水でまるで川のようになったものです。


日本人も、ほとんど見ませんでした。

今のように高層ビルが建ち並ぶバンコクとは違って、
もっと田舎チックな、バンコク市内を牛が歩いている、
そんな風情でした。


タイに行く日本人も、コレラの予防接種を受けることが
義務付けられていたと記憶しています。


私とK先輩は、ムエタイのジムに通い、
そしてこのルンピニースタジアムで、
当時「ムエタイの至宝」であった、
サーマート・パヤカルンと一緒に試合を観戦しました。


私は、憧れの選手だったサーマートの隣に座り、

「今、この時点が人生で最も楽しい時期なのだろう。
これから行きていく中で、本当に今、この瞬間こそ」

と心から思いました。


あれから、25年が経ちました。

ちょうど、25年後の今日、私はあの時と同じ、
ルンピニーのリングサイドの場所に座っています。


・・・


あの頃、、、

25年前と比べ、タイは驚く程の発展をしました。


タイの首都バンコクは、
日本の人たちのイメージとは違い、かなりの都会です。

超高層ビルが建ち並び、その屋上には
東京でも見れないような天空レストランがあります。


その都会度は、大阪がかろうじて勝てるかな?って感じ。
名古屋や他の都市は、バンコクと比べたら、確実に「田舎」です。


バンコク市内を闊歩していた牛は田舎に追いやられ、
冷房の効いたタクシーが走り回り、
車もみなピカピカの新車に変わりました。


昔、お金のなかった私たちにとっての移動の主力、
トゥクトゥクは、今では観光目的の
「珍しいが故に高い乗り物」にかわっています。


地下鉄に高架鉄道。
どこを歩いても、日本語の看板、そして日本人の声。

タイは変わりました。


・・・


K先輩は、そのままジムに居残り、タイに住んで、
キックを引退した後、タイで仕事を始め、
日本企業の進出を数多く助けました。

「タイでやりたきゃKに聞け」

と呼ばれた程の有名人でした。

タイで18年間、そのような業務をした後、大金を蓄財し、
今は資本家として日本に戻っています。


私は、k先輩とは離れ、日本に帰りました。


そして、キックを引退した後、現場の職人になりました。
これまた、20年以上前のことです。


・・・


あの頃、
「K先輩がうらやましい、一緒にそのままタイに残りたい」
心からそう思いました。

でも、かないませんでした。


今、あのときタイに行っていたら、なんて後悔はしていません。

もしそうしていたら、私は身体がぼろぼろになるまで
リングに上がり、今頃、それこそ職人の親方でもやっていたでしょう。

今のような人生は送れていなかったでしょう。

私は間違っていなかった。
たしかに、そうは思っています。


K先輩の親御さんも、私と会うと、

「ヒロタさんはいいときにやめたよね」

と、いつも言ってくれます。


・・・


「リングは、上がるよりも降りる方が難しい」
とよく言われているようです。


上がることもそれなりの努力がいるが、
引き際を見極めることの方が難しい、という意味だそうです。

私も、大した経歴ではないけれど、
やめてから、よく夢を見ました。


「試合が決まったぞ」とジムの会長が私に伝えます。


私は夢の中で「練習してないよ、どうしよう」とか、
「なんとか動けるかな」とか、
「1ラウンド持たないんじゃないか」
とか、いろんな焦りや、
ドキドキ感が高まっていきます。


試合開始のゴングとともに目が覚める夢。
ネタではなく、本当に見るのです。


あれから20年以上がたった今でも、ごく、たまに見ます。

「やりきってない感」が自分の中に残っているのかもしれません。
私の中に、消化しきれていない、置き忘れたものがあるのかもしれません。


年々、回数は減っていきます。
昔は頻繁に見ました。

20年以上経った今は年に一回見るか見ないかだけど・・・

その夢の感覚、臨場感は
決して色あせることがありません。


ジムの会長が私のところに来ます。

会長も、昔の年齢のままです。
20年以上、年を取っていないようです。

そして、言います。

「おい、ヒロタ、試合決まったぞ」


・・・


今、私はルンピニーのリングサイドに座り、
いろんなことを考えます。


25年前のあの日、、、

私の右隣に座っていたのはサーマート。左隣にはK先輩。
今日、あのときと同じシートの右横には知らない白人が、
左にはタイ国軍関係の友人が座っています。


私は、左隣の友人に聞きました。

「ねえ、ルンピニーって、陸軍関係だよね?経営は軍がしてるの?」
「違うよ。OOだよ」


「へえ、違うんだ、それって、権利を買うことできるの?」
「たぶん出来るよ。複数のOOが持ってるけど、欲しいの?」


「いや、別の欲しいとかでなくって、
買うとしたら、いくらくらいなのかなあ」
「たぶん××くらいだよ」


なんだ、そんなので買えるのか?
それが本当ならば、今、私がその気になれば、
スタジアムの全ての権利をいとも容易く買えてしまいます。


「うん、たぶんヒロタなら買えると思うよ」
「そっか、でもビジネスとして魅力ないからなあ、
OOと関わりたくないし。いらないや」


あの頃、サーマートの横で、目をキラキラ輝かせ、
今こそが一番幸せだと信じて疑わなかった青年。
キックに、ムエタイに、無上の情熱を持っていた青年。

それがいまでは、ビジネスを通してしか、
物事を考えられなくなっています。

最も変わってしまったのは、ひょっとしたら私なのでしょうか。


・・・


ルンピニーの前のラマ4世通り。

今日も少し雨が降っています。


あの頃、大雨が降ると水没しかかっていたバンコクの大動脈は、
水はけも改善され、完水するようなことはなくなりました。


見上げると超高層ビル群のネオンがキラキラ輝いています。


バンコクは変わったけど、ルンピニーは昔のまま、25年前のままです。

むせるような熱気、タイオイルとワセリンと腐った汗の匂い。
100メートル先の駐車場まで聞こえてくる、
耳をつんざくその歓声も、昔のまま。

25年前と同じ、聖地、ルンピニーです。


K先輩は日本に帰り、私はあの頃の思いを果たすかのように、
毎月渡タイして、ジムに通い、身体を鍛えています。


置き忘れたもの。

それを拾い集めるために、人生はあるのかもしれませんね。



2 件のコメント:

  1. 1986年7月だよね!お互い初の海外旅行だったか。25年じゃなく26年だよ!

    あの時の旅行は楽しかったよね!旅行中にこのまま時間よ止まれなんて何度も思うこともあった。

    まだ名古屋から直行便もなく香港経由だったよね。懐かしい!

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  2. おお、先輩、ありがとうございます!
    ブログ見てくださってるのですね!
    もう26年になりますか!

    あのときは本当に楽しかったです。香港、台北経由でしたね。
    「今が一番幸せなのだろう」と真剣に考えていました。

    今は年に20回以上海外へ行きますが、
    あのとき以上の興奮は後にも先にもないですね!

    先輩、パンフもらってきたので送りますね!セーンチャイの特集ムエタイ雑誌も(^^)

    佐藤選手の試合がみたいです。K1なくなって寂しいです・・・

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