2021年2月17日水曜日

地元のママ  No.1125

 久しぶりに地元に帰った。


時短により、街は灯が消えたようだった。

何十年の付き合いのママがいるので、ひょっとしたら開いてるかなーと、馴染みの店の前を通った。

店自体が無くなっていた。

・・・

店のあった小さなビルは取り壊されて、更地がそこにあった。

友人に電話した。

「いま、〇〇の前を通ったんやけど、なんか、店がない。潰れたというか、存在してない!」

すると、友人は、
「知らなかったんか?」

何を?

「ママ、亡くなったぞ」

・・・

私が二十歳の頃だっただろうか。友人が仲良かったせいもあり、そのママの店によく通った。それからの付き合い。

何十年も続き、地元では知らない人間はいないほど有名。常にキチンと客を守る、そんなママだった。

ここ数年は、たまに行くと、チップとしてお小遣いをあげていた。「アンタ、六本木やろ、今度東京行くから案内してよ」「嫌だ」なんて会話をしてた。

もう、かなりな歳で「死ぬまでにちょっとでも顔出したらなアカンなあ。お小遣いあげに行かなきゃ」と思ってたりした。

でもコロナ騒ぎで、しばらく行ってなかった。

・・・

以前に私が行ったしばらくあと、血を吐いて倒れたらしい。病院に運ばれ、ステージ4と診断された。

折しもコロナ真っ最中。

ママは誰にも看取られず、旅立ったとのことだった。

・・・

ママの娘さんはこれまた既に亡くなっており、引き取る身寄りもなく、無縁墓地に埋葬されたと聞く。

複雑な家庭環境で、元々家族との縁がほぼ無かった人だったせいもある。

・・・

最後に店に伺ったとき、コロナの給付金の話をした。「何それ」というので、ウチの秘書が申請を手伝った。

「お金降りたよ」と喜ぶ、秘書への連絡が最後だった。

最後に、少なくともお金の心配はせずに逝けたのならありがたい。 

・・・

そのママは、自分の人生を貫いた。詳しくは言えないが、いろんなことがあった人生だった。

自分を通すか?世間に迎合するか?の中で自分を通した。

自分を貫いて死ねた。

本人が幸せだったかどうかは知らない。しかし、後悔のない人生であったのではないか。

・・・

願わくば、ひとこと、礼を言いたかったなあ。

こんな時期でなければ、見舞いも行けたろうし、店の常連客たちで墓くらい建ててあげることもできたろうに。

ママ、ご苦労様。 

何十年と、飲ませてくれてありがとう。

最後に礼を言えず残念がっている客は、俺だけじゃないと思うよ。

ありがとう。
ゆっくり休んでね。

・・・

ママの店のあった建物はすでに解体され、今は更地になっている。

ここに、この街で誰もが知ってるママがいた。最後まで自分の愛した店に立っていた。

私もかくありたい。

自分の人生を、自分の思う理想に近づけるため、一生懸命に生きていかなきゃね。男を磨こう。頑張ろう。

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